能を観なくなって三年ほど経つ。

この間、多くの訃報に接した。その度に、あの人の舞台を観ておきたかった、だとか、あの人の舞台をもう一度観たかった、だとか、あの舞台を観ておくべきだった、といった思いが胸を過ぎていった、それでも、その瞬間の次からは、また、能舞台に足を運ばない日々に戻るのだった。

しかし、この度の訃報に接し、今、言葉を記すことにかなりの困難を感じている。

 

いたずらに過ぎていくことを許してしまっていた三年間への後悔。

自分を見失っていたことと、能舞台から遠ざかっていたことが、重なって見える。

 

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片山幽雪師の舞台を、これからはもう、観ることができないのだ。

その失った時間をどうすれば救済できるのか(新しい密度ある時としてどう構築していくことができるのか)、私のこれからの過ごし方に、常に、問うていかなくてはならないのだと思う。

2010年11月1日に観た師の〈姨捨〉を、思い出す。

終演後の素直な感動が、当時のブログに残っていたので、再録する。

師の逝去をかけがえのないきっかけとし、自分自身に、自分自身のありかたを、これから常に、問うていきたい。

 

***(以下、当時のまま録)

 

一昨日の、<姨捨>が、脳裏から離れない。

よく、姨捨のシテは、月の精だと言われるのを耳にするが、片山幽雪師の表現は、そんなんでは済まないと思った。

月の精なのかもしれないけど、老女の死後の救いは、桎梏。
本当は、妄執と言われてもいいから、もっと、人間の哀しみを帯びた存在として、たとえば、<井筒>や、<定家>の主人公の亡霊のように、旅人に、己の過ぎ去った過去について、甥との楽しかった生活、そして、その後の悲劇について、カタりたかったのではないだろうか?

クセ語りで、浄土について、ある意味綺麗事を並べたのは、老女の本意だったのだろうか?
もし、己の過去についてカタる事が出来ていたら、老女の亡霊は、別の形の救いを受けることが出来たのではないだろうか。

…。

先日、フィルムセンターで、吉田喜重監督特集がやっていて、「秋津温泉」を観た後で、監督のトークがあった。その時に、監督が言っていた言葉「もし、私の映画が難しいと感じられるのであれば、それは、私の映画の何かが、観客の心の中で、溶けきれずに残って、今度は観客自身の、創造性を喚起する…」というような事を言っていた。

まさしく、能は、わからない。
本当は、わかる/わからないという、言葉を、使ってはいけないのだろう。
能は、測れるものではない。

能は、観る者に何かを植え付ける。
そういうものは、小説とか、映画とか、音楽とか、いろんなものに言えることで、能だけじゃないと思うけど、とりあえず、今の私にとっては、能は、そういうものの中で最大の存在だ。

片山幽雪師による<姨捨>を、観ることができて、本当によかった。
梅若玄祥師に引っ張られた、地謡は、すさまじく最高だった。透明な風が、震えるような声だった。月光だった。京都から、片山清司師も、梅田邦久師も、武田邦弘師も、味方玄師も地謡に参加していた。

お囃子もよかった。
中でも、藤田六郎兵衛師の笛の音は、圧巻だった。

後見。観世清和、観世銕之丞、青木道喜。
正面の、前方右よりに座っていたから、舞台の最後、シテが橋掛りから幕の向こうに消えていくとき、幕が上がった瞬間、鏡の間の暗闇の中で、端坐して、シテを待ち構える、銕之丞師の姿があった。彼は、シテを迎え入れる前に、深々と、長い時間、頭を下げた。

その礼は、本日の主役である片山幽雪はもちろんの事、この完璧で最高の今日の舞台、能という奇跡の芸術に対し、それに立ちあう事の出来る喜びに対し、それはまさに、人生の一期一会の出会いに対し、深い畏敬の念を以て捧げられた礼だと思った。

 

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片山幽雪師のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。