恋せぬふたり②

風呂に浸かりながら昨日観たドラマ「恋せぬふたり」のことを思い返していたら、なんとなく気になったことがあるので、忘れないうちに整理しておこう。

喪失について

物語のはじめに、咲子は親友の千鶴を失っている。高橋も、半年前に育ての親である祖母を喪くしている。物語の最初に描かれるふたりがそれぞれに抱える喪失が、これから物語が進むにつれどのように扱われるのか。

特に、死者である高橋の祖母が、これからどのように描かれるのか。(第一話では、高橋と咲子が紅茶を飲む前に、高橋は祖母の骨壷に対して紅茶を供えていた。半年経つのに骨壷がまだ家にあることの意味は。)

「城」について

咲子は、最初、千鶴と部屋をシェアしようとしていた。そのとき「私たちの城」という言葉が彼女の口をついたのが印象的だった。借りようとした部屋のベランダで、千鶴とふたりで佇んでいる姿は、まるで城壁の上に立って、外の世界を見下ろしているようであった。

千鶴とのルームシェアはできなくなったが、予告編を見るとこれからは高橋の家で高橋と同居することになるようだ。今度は高橋の家が、咲子の「城」になるのだと思う。咲子にとって城の中の世界と城の外の世界とは、どのような意味を持つことになるのか。

名前について

父親は「博実」母親は「さくら」、そして「咲子」と妹の「みのり」。父親と妹には「実」が通じて、母親と咲子には「花」が通ずる。登場人物のこの名付けは何かを暗示するのか。

「自認」について

第一話では、すでに自認した高橋、今まさに自認しようとしている咲子が描かれている。では、本当はアロマンティック・アセクシュアルであるのにそのことに自認することなく「世間」が当てはめる性役割を演じさせられる人は。このような人の苦しみは。今後ドラマで描かれるだろうか。

恋せぬふたり①

9時のニュースが終わって新聞のテレビ欄を見たら、今日から新しいドラマが始まることに気づいた。番組ウェブサイトを覗いてみたら、アロマンティック・アセクシュアルという恋愛的・性的指向の人が主人公の物語だと知り、興味が湧いた。「六畳間のピアノマン」と「俺の家の話」を観ていらい、久しぶりに、シリーズもののドラマを最初から観てみようと思った。

ドラマは自分を重ねもしながら観た。「大人たちの言葉」が代表する、世間というのっぺらぼうが持つ「正しさ」の前提にあることがらにどうしてもつまずいてしまう者が発する、誰にも受け止めてもらえない微細な信号、それが咲子の表情だった。こんな表情を私もしていたし、38歳になろうとする今も、時々している。だから高橋が咲子に「しんどそうでしたよね」と言ってくれた時の咲子の嬉しさが、痛いほどわかった。

微細な信号をすくいとれる人間。そして信号をすくいとられたことによって救われる人間。そんなふたりが出会ったところまでが、今日の話で描かれていた。

これから8回のシリーズを、毎週丁寧に観ていきたいと思った。

 

箱根駅伝を視ながら朝ごはんを食べたあと歯磨きをして、風呂掃除から部屋に戻ると、帰省中の妹家族が買い物に出かけたあとだった。天気がいいから室内に干された洗濯物は外に出されていた。両親が福袋を見てくると言って出かけていった。

近くの小さな神社にお参りに行った。今日は、朝から青空が広がっている。大雪の名残がそこかしこに積もっているが、道路はあいている。

二階の部屋の窓を久しぶりに開けた。屋根にも雪が残っている。しかし、空気は乾いており、風はない。窓を開けたままでも、背中に日差しを受けていれば寒くはない。布団を上げ、床に積まれた本のあいだをぬって、年末にできなかった掃除機をかけた。

久しぶりに自分以外には誰もいない家の二階の、自分の部屋で静かに過ごしている。

雪解けの水が滴る音が聞こえる。どこかで誰かが、雪かきのスコップを使う音が聞こえる。ときどき家の前を歩く人の声が聞こえる。正月二日目の昼間は穏やかだ。

この部屋には大量の本が積んである。中には読んでいない本もたくさんある。高校生の時から読んでいた文庫本。お金を稼ぐようになってから大人買いした全集のたぐい。修士論文を作成する過程で買った研究書。これまで興味が赴くまま放っておいたら、こんなに増えた。

ほとんどが、今すぐ読めないことをわかっていても、人生かけて読むつもりで購入した本だ。

今、自分が読むべき本は、過去の自分が知っていた。過去の自分が、今の自分、そして未来の自分のために準備してくれた本たち。これからの人生で、共に歩める本がこんなにあることが嬉しい。

 

***

 

と、正月にはいつも思うことだが、今年は積ん読ばかりではなく、ちゃんと読んでいかなければ。このままでは読まない本で狭い部屋が埋もれてしまう。

すでに布団を敷く場所にも困り、掃除機も十分にかけられないではないか。

隣の部屋で、両親がテレビを観ている。紅白歌合戦で、BUMP OF CHICKENが歌っている。

大学生の頃、カラオケで、部活の先輩がいつも歌っていた歌だ。なつかしい。

と思っていたら、「おかえりモネ」の主題歌になった。キッチンのテーブルでこれを書いている私も、しばらく手を止めて、隣の部屋のテレビを眺める。

妹夫婦が、年末年始で子どもを連れて帰ってきている。さっきまで一緒にいたが、小学1年と幼稚園年中の甥たちが寝るのにあわせて、今夜はもう寝室に引き上げている。

毎年大晦日の夜は、窓を開けて、除夜の鐘に耳をすませている。そのうち、近くの寺に打ちにいくこともある。でも今年は大雪の影響で、近くの寺での除夜の鐘は中止らしい。

 

隣の部屋では紅白から、NHK教育のクラシックに変わった。「展覧会の絵」。好きな曲だ。

 

今年は、読みかけの本を何冊も中断したままにしている。でもそんな中で、finalvent氏の、本や、ブログや、noteを、最初から最後まで読んでみた。

氏の文章は語りかけるようだ。ジャーナリズムを補う発言、市民社会を構成する市民としての発言、読書家としての発言、そして、親密な関係性の中に生きる個人としてのエッセイ。媒体も、書籍、ブログ、ツイッターなど。文章は触れられるものだけで様々にあるが、どの文章にも貫かれる氏の眼差しが、私は心から好きだ。思えば、学生の時に氏のブログに出会ってから、誰よりも影響を受けたかもしれない。もうすぐ38歳の、立派な中年である私が、いろんなところでほころびや、ガタを身体に感じ、それでも心は若いと思っているのに、やはり確実に老いていく実感を抱く中で、そして私生活や仕事にいろんな難しさを感じる中で、そうであったとしても、「ドンマイ、大丈夫」と思えるのは、氏の文章がいつも隣にあったからだと思う。

 

今年は修士論文が完成した。働きながらの大学院生活は大変だったけれど、やり遂げた充実感があった。先日、指導教官とメールのやりとりをすることがあり、「修士論文を完成させたことで、必ずしも仕事ができるようになったとは思えなくて、むしろ難しくなりました。しかし、楽しいと思えるようになりました」と書いた。それに対して指導教官は、「瞬発力ではなく持久力ですね」と指摘してくれた。まさしくそうだと思う。仕事と向き合うために必要な持久力の源泉を、修士論文を完成へと向かう過程の中で、掘り当てることができたように思う。

 

別れと出会いもあった。

昨年末に、大切だと思っていた人との別れがあった。年初に、祖母が他界した。大学の後輩の訃報が届いた。

それでも、新たな出会いがあった。この出会いがこれからどうなるのか、そのことに自分はすなおに向き合いたい。自然に受け入れていきたい。

 

実り多い一年だったと思える。

来年も、すなおに、いろいろな出会いを受け入れながら、生きていくことができればと思う。

先日、休みの日に、西国三十三所のひとつ松尾寺を訪ねた。当初は、同じく三十三所の長谷寺へと思ったが、紅葉時期に重なりおそらく相当混雑しているだろうということで、行き先を変えた。

舞鶴若狭道を使えば住む町から2時間弱の、快適な道中だった。

舞鶴東インターを降りてからしばらく国道を走り、途中で脇道にそれ、山中の狭い坂道を登って行けば、迷うことなく到着した。着いた時に幸い駐車場が一台分空いていた。

ささやかなお寺の本堂で、持参した蝋燭と線香を供え般若心経を唱えた。一緒に行った人も蝋燭と線香を供えた。

納経所で御朱印を受けた。それを見て同行人も納経帳を購入して同じように御朱印を受けた。せっかくだから記念にと言っていた。これからさき、何年もかけて一緒に巡礼することになるのかなと思った。

境内は銀杏の黄葉が、地面に敷き詰められた感じであった。納経所の人に聞くと、昨日からの雨風でだいぶ落ちたとのことだった。

昼食は、下山してからネットで調べた西舞鶴のお店でとった。少し待ってから席に着き、注文した刺身八種盛りの定食は、美味しいだけではなく安かった。大変満足した。一緒に行った人も美味しいと言っていた。他にも客が結構いて、マスクをしていなければ、コロナ前と変わらないと思った。

それから、天橋立近くの札所まで足を伸ばそうかとも思ったが、時間が結構かかりそうだったから、やめて、かわりに若狭姫神社、若狭彦神社、それから神宮寺に向かった。以前、白州正子さんの書かれた本を読んで、いつか行ってみたいと思っていた場所だった。

途中、道の駅に寄ったら、ものすごい人出だった。

だんだんと、夕方近くになっていった。遅めの時間帯だったからか、どの神社も寺も、他に人はいても2、3人だった。この三つの場所に、この日このタイミングで行けたのは、何かに導かれるようであった。

最後の神宮寺に着いたのは閉門の少し前だった。この日に訪ねた中で、ここの紅葉の美しさは格別だった。そして少し肌寒いために、静かな空間で一層心が澄むようであった。でもそれら以上にこの場所を厳かにするものがあった。それが何であったのか、言葉で言い表すことはできない。

いろんなことを思った。死んだ後輩のこともよぎった。

それでも、しかし私は同時に、生かされている自分は満ち足りていると思った。もしこの状態を幸せというのであれば、そのことを素直に受けたいと思った。

境内を一通り巡って、最後にお水送りに使われる井戸から流れる水に両手を浸した。柔らかい水だと思った。同行人も、そうですかねと言いながら両の手を浸していた。同じ水に同時に手を浸したこの行いが、振り返ると何かの儀式みたいに思えた。

全部終わって、すでに閉じられていた門から境内を出るとき、戸を開けてくれた人が、私たちを見送りながら、ここを管理して守っているつもりでも、じつは自分の方が何かに守られていると感じると言っていた。

帰り道は高速を使わずに鯖街道を通っていった。帰ってから自宅で白州正子さんの本を読み返したら、白州さんも初めてのときは、この日の私たちと同じように、松尾寺からの帰路でたまたま、若狭姫神社、若狭彦神社、神宮寺を訪ねていた。その道中が、改めて印象的な筆致で描かれていた。

しかし私たちは白州さんと違い、白州さんが神宮寺の次に向かった鵜の瀬には行かなかった。すっかり日が暮れてしまっていたからだった。白州さんにとっては鵜の瀬こそがクライマックスだったのにと、すこしだけ残念に思った。