「カティー・サーク」

相沢がまだ東京で働いていた頃、時々酒を飲みに行った。それは、大抵、土曜の夕方の、早い時間帯だった。
席に着くと、何も言わなくても、カティー・サークのダブルのオン・ザ・ロックが出された。相沢は、その最初の一飲みが、好きだった。ゆっくりと一杯に時間をかけて、氷が大方解けても、まだ飲み干さないような飲み方だった。
自分の父親くらいの年齢のバーテンダーから、東京の街について、いろいろなことを教わった。新宿駅西口近く横町の蕎麦屋。銀座のスパゲティ屋。教えられた店で、相沢の気に入りがいくつもできた。
店が混んでくると、今度は一人で考え事をした。そこには、店の奥に作家の写真がある。相沢にとってその運命の人の写真を見ながら、よく自問自答した。答えは出なかった。それでよかった。
オールドイングランド。マンハッタン。ギムレット。いつも変わらなかった。時々変ったものを頼んでも、続かなかった。小説と同じで、相沢は同じものをずっと愛した。
いつか女の人と一緒に来ることがあるのだろうか、と考えた時もあった。自分が誰かに好意を持たれるとは、あまり考えた事もなかったが、それでもそんな光景には少し憧れた。その時はきっと照れくさいだろうなと思った。

一人、相沢には気になる人がいた。卒業した大学の町に今もいるその人のことが、時々頭をかすめた。会いたいと思うこともあった。