夜、寒さで目が覚めた時、外は雨だった。
寝る前に閉めたはずの窓が開いていた。雨が、山小屋の中に吹き込んでいた。

相沢は、起きて灯をつけた。部屋の隅におばあさんがうずくまっていた。おばあさんは、壁にもたれかかって床にすわりこみ、顔を、すわりこんだ両足の間にうずめていた。眠っていた。

「また、来て下さいましたね」

相沢は、この目の前にいるおばあさんを知っている。このおばあさんは、かつて相沢の書き終えることのできなかった小説に描かれたひとだった。相沢の、まったくの想像のひとであった。

「あなたを書きながら、僕は、結局あなたを書き終えることができませんでした。先日も、あなたはこの小屋の入口に立っていた。あなたを、僕は書き終えなくてはならないのでしょう。それを、僕はあれから前に進めずにいる」

おばあさんは、しかし、一言も発しなかった。

「僕は、あなたを書くためにここにいる。それだけは、確かなんだ。だから、もう少し待ってほしい。僕は、きっとあなたを書いてみせる。あなたの哀しさ、苦しさ、美しさそういったものを、僕は書きたい。でも、言葉が追い付かない。あなたに、僕の言葉が追い付かない」

雨は、音もなく降り続いている。近くの川が流れを増した音が、さっきから聞こえている。
まだ一枚も書けない。おばあさんは、相沢が書くのを、ただ無言で待っている。