琵琶湖を、その人と二人で歩いたことがある。盆前の蒸し暑い日の夕方、何か話しながら湖畔の道を。とても暑かったことを覚えている。
夢について。彼女は、良い母になりたいと言った。相沢は、特にない、ただ、何かものを書ける人間になりたいとだけ言った。二人とも、一般企業から内定を得ていた。しかし、働くということに、なんら実感を持てずにいた。あまり働きたくなかった。文学について喋るのが好きな、気楽な学生だった。
だからその時も、話はすぐに小説や演劇に移った。
相沢は、小説では太宰治を最も好んだ。高校二年の時に出会い、「東京八景」が一番好きだった。「人間失格」は、読まなかった。この世で、太宰の作品で未読のものがない状態は嫌だと思ったから、「人間失格」だけは死ぬまで読まずにいようと心に決めていた。また、大学では能と出会った。一時期は、小説以上に入れ込んだ。舞台と見所の間の張り詰めた空気が、舞台芸術たる能の、何よりの魅力だと思った。中世文学を専攻し、卒業論文では金春禅竹について、能<定家>の作品を通して論じようと考えていた。
相沢は、いわゆる文学青年だった。口下手だが、文学については何時間でも話すことができた。むしろ、自分の文学観を誰かに聞いてもらいたいと、いつも思っていた。
彼女は、そんな相沢の話を、静かにいつまでも聞いてくれた。相沢が話すのを聞き、頷き、あるときには相沢に重大な気づきを与えるような質問もした。相沢はだから、彼女と話をするのが楽しかった。