夫の帰らない夜は、いつも、空想にふけって過ごした。
     ***
むかし、あるところに女の子がいた。遠い道のかたわらにポツンと一軒しかないその家の外で、近所に友達はいなかった。それでも、そんな女の子の家にも、毎年、春になると必ずやってくる人達があった。中に一人、とても美しい男の子を、女の子は、お母さんの足元に隠れてじっと見つめていた。女の子の父親は、そんな娘の姿をよく知っていた。一人娘をとても可愛らしく思っていたから、なんとか喜ばせようと、また、友達がいないのを不憫に思っていたこともあり、或る朝早く、客人達が女の子の家を発つときに、美しい男の子を指さして女の子に囁いた。
「あの子はね、―ちゃんが大きくなったら、―ちゃんのお婿さんになるんだよ」
女の子はその言葉を忘れずに育った。
     ***
それから数度の春を迎え、今年もまた昨年と時期を同じくして旅人達はやってきた。もちろん、その中にはあの美しい少年もいた。しかし、既に少年としてではなく、花の名残を少し留めてはいたものの、それは、逞しい青年としての訪れであった。女の子もまた、その頃にはもう恋する娘であった。
到着から三日目、明日には発つという晩、家の者も含め、皆で卓を囲みささやかな宴を開いた。給仕には、手伝いとしてこの家の娘も当たった。娘は男の食事の世話ができることが嬉しく、何気なく装ってはいても、それでも、動悸に逸る胸の高鳴りを抑えることはできなかった。それは時間が経つのも忘れる程であった。
宴たけなわの頃、男が小用に席を立った時、思わず娘も後を追った。娘の父親も含め、そのことに気付いた者は誰もいなかった。戸を閉めた後の部屋の内は、変わらずガヤガヤと賑やかだった。夢見る気持ちで、家の中、娘は男を追った。
     ***
男が小用を済ませた後、戸を開けるとそこに家の娘が立っていた。これまでも認識はしていたが、会話したことはなかった。
娘は何か言いたげだった。しかし、なかなか言い出せないようであった。下を向きモジモジしていた。
「何か、私に?」
「あの…」
「何でしょう?」
「明日、発たれるんですよね?」
「ええ」
「また、来年も来て下さいます?」
「ええ、いつも良くしてもらってますから」
「再来年も?」
「ええ、たぶん」
「あの…」
「?」
「あの、いつまで、待てば良いんでしょう…?」
「え?」
「いつになったら、私のお婿さんになって下さるの?」
     ***
その夜遅く、男は女の家を誰にも告げずに逃げた。走って、とにかく遠くまで行ってしまいたかった。男には、女をどうするという意思は全くなかった。この日、女に対してはじめて持つ印象は、「恐怖」と呼べるものだった。つまり、逞しい外見とは裏腹に、ナサケナイ男だったのだ。走って、野を越え、山越え、大きな川を越えた。

女がそれに気づいたとき、それは自分の床の中で長いこと泣きはらした後、それでも男に一目もう一度会いたいと思い、男達の寝所にこっそり忍び込んだときで、他の男達が鼾を掻いている中、思う人の床だけが、空っぽだった。