ほんとうに、書けるのであれば、書きたい。私に、書けるものがあれば。
「僕こそ書きたいよ。書けるのであれば。書きたいよ。でも、書けない。僕の中にも、僕の周りにも、どこを探しても、どこにも物語が無いんだ。書こうとして、でも書けなくて、その時はじめていま自分が読んでいる小説が如何に奇跡の産物であったかがわかった。本当に、簡単な事じゃないんだ」
「そんなこと当たり前じゃない」
「え?」
「当たり前のこと、なにぐずぐず言ってるの。そんな簡単に書けるわけないじゃない。『産みの苦しみ』って言葉知ってる?いのちあるものを産むのって、それは本当に苦しいはず、それでも、女が赤ちゃんを産むのは、義務でもない、仕事でもない、愛なんかでもない。ただ、産み落とすその対象に対する、猛烈に強い渇望がある、それだけなんじゃないかな。それなしには決して生きていくことが出来ないもの。愛なんて、まだ生まれていない対象に対してあるはずがない。求める気持ちがまずあって、それの為に、どんな苦しみも通り越す事が出来る。対象に対する愛情は、あとから芽生える。はじめに、まだこの世に存在しないそのものを、何かわからないけど、見たこともないけど、ものすごく求める。そういうものなんじゃないかな。あなたは、今あるものしか見ていない。あなたに見ることのできるものしか見ようとしない。今ここに無い、世界中であなたにしか生み出すことの出来ないものを、苦しみの中で産み落とそうとしていない」
「僕は、」
「私の言うことわかる?」
「僕は。僕は、ただ、書くことで何かが、その過程の中で生まれるものだと思っていた。それでも、はじめても、何も生まれてこなかった。だから、最後まで書き切ることが出来なかった。僕の小説に対する『何か』が、全然だってこと?苦しむって、一体何に対して苦しめばいいの?」
「そんなこと私にわかる訳ないじゃない。書くのはあなたなのよ。あなた自身の問題なのよ。ただ、あなたはいつもそうだった。何かをすることで、ひょっとしたら傷つくかもしれない、それでも自分を投じるということを、決してしない人だった、あなたは。何に対してもそう。確かに好きという気持ちがあるのに、その気持ち以上の事をしない。自分におさまる世界にいるだけ。何かを、越えようとすることなんかなかった。いつもそうだった。ねぇ、私の言うことわかる?」
「…」私は、あなたの事が好きだった。
「わかる?ねぇ、私は、今日…」
     ***
「本当に、ごめん」
「え?」
「なんとなく、謝らないといけないような気がして」