「好きなの、ああいうの?」
「え?」
「いや、その、まさか堀辰雄を読むような人だとは思わなかったから、ものすごく意外で、」
この人は何を言っているのだろう。
「それってどういう事?」
「いや、その、何というか、ああいうのって、か弱い人が読むものかなって。あなた、見た目にがっしりしてるし、なんというか、堀辰雄とか太宰とかじゃなくて、そういうのとは正反対のものを読む人なんだろうなぁとずっと思ってたから、本当に以外で。こんなこと言って失礼かな?」
「いや、別に…」
「ひょっとして、こうして話しかけるのって迷惑?」
「いや、別にそんなことは…」
「そう。なら良かった。私、ずっとあなたと話がしたくって、結構あなたの事観察してたのよ。今日、何となく話が出来るような気がして、だから決死の思いで」
「…」
「それで、どうなの、『菜穂子』?」
「…わからない」
「え?」
「それが、わからないんだ。なんと言ったらいいのか」
「あまり好きな小説じゃないってこと?」
「…いや、そういう訳じゃなくって。ただ、それでも菜穂子は夫の圭介と共に生きたいと思っていた。その、ある種の自分の身を捧げた地点での妥協みたいなところが、これって妻になった女の人には自然なのかな、なんか、自分にはよくわからないんだ」
「…つまり、女が結婚して人の妻になるまでに巡る回路?」
「うん、そう」
「ふーん」
「…」
「あなたって、面白い人ね」