孤独ではないのだと思う。それぞれが孤独を抱えながら、それでも隣には人がいる。隣人の物語の中に参加できないかもしれないが、それでも、ちょっとした気遣いをする、そうすれば、人として触れ合う事が出来るのではないだろうか。だからホッとできるのではないだろうか。
山手線は縁を描き続ける。私達は多くの場合、その描く、一部分の弧に参加するだけだ。それでも、ほんの少しの気遣いで、他人の物語に参加する事ができる。ここにはそんな可能性が潜んでいる。だから私は、孤独に感じないのだと思う。
鞄の中から「堀辰雄集」を出す。
「曠野」「姨捨」「かげろふの日記」。女の思いが描かれている。哀しく、そして儚く。最初読んだとき、唯美しいとだけ思っていた。そこに何ら切実な思いを抱く事はなかった。しかし今の私は、この問いの前に立ち往生している。
「女って…」
私は、あの夜バーで私に結婚すると告げた女の事を想っている。あのときからずっと彼女の事を考えている。