私は人が変わった。
「わかった気がするんです」唐突に言葉が関を切ったように溢れ出た。「ずっと考えてたんです。あなたの絵の事を。そして、少しだけわかった気がするんです。あなたの絵は、いや、芸術は、一つ一つの世界をしっかりと見ることだって。世界中の人すべてがそれぞれの物語を背負って生きていて、それを発見することなんだって」
若い画家の表情が驚きから真剣な眼差しに変わる。私は彼を困らせているのかもしれない。でも、それでも言いたい。言わないではいられない。
「だから、その、何が言いたいかというと、人にはそれぞれに固有の生活があって、百人いたら百の物語があって、だから、それは絶対に人を殺しちゃいけないという事につながる。暴力をふるっちゃいけない。暴力で、他の人の物語をぶち壊しちゃいけない」
「それで、だからこそ、芸術は必要だって。なぜなら、芸術は、百人の人一人一人の固有の物語に向き合うことだから。人間がいるという事を提示することだから。こんなこと初めて思いました。でも、そう思わずにはいられない。私は、街を歩いていました。いろんな人とすれ違いました。そうしたら、あなたの絵の事が思えてきて。あぁこういう事なんだなぁ、と思って。どうしてもそれをあなたに言いたくて。あなたはこんなに素晴らしい絵を描いているから。」
「…」画家は黙っている。
「急にごめんなさい。でも、どうしても…」
「いや、いいんです。」画家は強く、しっかりとした口調で言った「私はあなたの話をもっと聞きたい。どうか、続けてくれませんか」
画家の哀願するような眼差し。彼の眼は、本当に大きくて、そして、澄んでいる。それは誰かの目に似ている。
「急に、ほんとうにすみません。これは、あなたの絵というよりも、『何か表現されたもの』という事だと思うんです。あなたは、自分でも自分の描いた絵がわからないと言った、そういう事だと思うんです。つまり、世界には自分以外の人間が、それもたくさんいるというこんなにもシンプルで、当然といえば当然なことを。それを描くことなんだと思う。だから、わからないんだと思う。なぜなら、それは他人だから。決して踏みにじる事が出来ない、私達は、その人の世界とは私の想像を通してしか触れあえない。でも、そういうかけがえのない他人という存在を、ありありと感じさせ、想像させることが、表現の役割なんじゃないかと思ったんです」
画家の表情が頬笑みに変わる。
「そこに描かれるのは、自分じゃない。いや、もっと正確に言うと、自分という筒を通して触れることが出来た『他』、そういうものじゃないかしら。そんなこと、今日初めて思ったけど、でも今は、そう思えてならないんです」
窓外の雨の音が聞こえる。窓ガラスをたたきつける雨は、私の気分と同じくらい強い。私の体は火照っている。頬が紅潮しているのがわかる。
「わたしもそう思っています。今までも。今も。」