「私が絵を描き始めた頃…」画家も、静かに語り始めた。
「私が絵を描き始めた頃、と言ってもそれは、大学に入って、本当に絵で食べていこうと真剣に志した頃という事ですが、その頃の私は、何を描いても、自分で描いた絵の中に、自分が全く無いように思えてならなかった。それじゃダメだと思っていた。その時はよく自画像を描きましたが、でも、それは私が本当に描きたいように描けているのじゃなくて、描きたいけど到底描き得ないものを途中まで追いかけて挫折した、そこまでしか見えなかった対象、果たしてこれが本当に私の表現と呼べるのかわからないような、決してそう呼びたいとは思えないようなものでしかなかった。
何か、自分の外に存在する絵のようでした。
でも、結局、それ以外には何も描くことが出来なかった。だから描き続けた。それでも、風景を描いても、人物を描いても、何を描いても、それらは、私から離れたもの、嘘、本当の私が描くべきではない絵のように思えてならなかった。その事が私にとっては大きな苦痛であり、恐怖でした」
「私は、その頃よく散歩しました。歩くことが好きでした。ポケットに小さなメモ帳とペンを入れ、気になる対象があれば、それをサッとメモ帳に掬い取る。ごく簡単で、あっさりとしたものでしたが、私にはそれがすごく楽しかった。キャンバスに向かっている時よりも、こっちのほうがずっと楽しかった。充実さえしていた」
「その一方で、相変わらず『本業』は苦痛でしかなかった。それは、ますます度を増していった。嫌になるほど、自分に納得が出来なかった。本当に苦しかった」
「それでも私は、結局、自分を信じることをやめることはできなかった、いや、むしろ、自分に対する信念はますます強くなる一方だった。今にきっと、今にきっと、その言葉に自分ですがるようにして、何枚も何枚も描いた。描いては破った。そしてまた描いた。その繰り返しだった。」