大場は、今年25になるこの青年を好ましく思っていた。西日本の田舎から出てきてもうすぐ2年が経とうとする。少しも都会染みていない、それでいて、卑屈なところもなく、弱冠、礼儀正し過ぎるきらいはあったものの、それでも、最近めっきり見かけることが少なくなった、まっすぐで澄んだ瞳を持っていた。どんな些細な事でも、真剣に受け入れよう、少しでも、良いものを取り入れようとする、誠実な意気込みがあった。だから大場は、この若いエネルギーの塊に対して、彼がここに来る度に、きっと彼の知らないであろう東京の面白い場所や、行事について、自分の知る限り伝えようと思っていた。
「この間はありがとうございました。あの、一緒に来た人、すごく喜んでました」
「あぁ。そんなに大した事してないけどねぇ。あの後はすぐ帰ったの?」
「…はい、彼女の宿泊場所まで送りました」
「そう、もしまた来る機会があるなら、ぜひ連れておいでよ。今度は、とびきりのカクテルをね。この間は、そんなに飲まなかったから」
「…えぇ、久しぶりだったもんで、ずいぶん話しこんじゃって。あまり注文もしませんでした。すみませんでした」
「いーのいーの。そんな事は気にしなくてもいいよ。ゆっくりと過ごせばいいんだから…でも、この間はじめて女の子を連れて来たと思ったら、顔を真っ赤にして、よせばいいのに『このひとは友達です』って強調するもんだから、相手のコも嫌だったと思うよ。そんでもって、今日はまた一人で。淋しいねぇ」大場は、ニヤッと笑う。
「いやぁ、それは難しいですよ」左手を頭にやりながら相沢は答える。この動作は、何か少しでも照れくさい事を言うときの、相沢の癖だった。
「ま、なんせ田舎と違って、東京には人がたくさんいるから、中には一人くらい、好きになるコもいるよ」
「いやぁ…ハハ」
相沢を見ていると、本当に25なのかという気がする。まだ少年っぽさを多分に残しており、本当に大丈夫かという気がする。その意味を仄めかすと、相沢は決まって「私は一応、ちゃんと働いてますからね」と言った。この、相沢が「私は…」と言うとき、さらに又、どうしてもある種のおかしさが込み上げてくるのを止められなかった。実に、相沢が自分を指して言う「私」は、響きからが滑稽だった。
「私は早く大人になりたい」恥ずかしげも無くこんなことを言ったときもあった。その時は、もう一人の女が答えた。
「もう充分大人でしょう」
「でも…、まだ全然ダメなんです」
「なにが全然なんだか。ダメに決まってるじゃない。でも、そんなことを言ってるうちは本当にダメね。人間、ダメから出発して、いかにしてそのダメを乗り越えていくのかを問い続けることよ。ダメだだけじゃ本当のバカよ。しっかりなさいよ。早く仕事を覚えて、好きな人見つけて、ご両親をご安心させなさい」…
相沢みたいな若い常連客はこの店では珍しかったのだ。
     ***
30分程経っても、相沢の後に客は続かなかった。真中の席の二人連れが、めいめいのモスコミュールを飲み干すと帰って行った。後には相沢と、一番奥の席の若い女だけが残った。
「それにしても今日は暇だな…」
「雨だからですかね?」雨の日は大抵暇だという事も、相沢は大場から聞いていた。
「結構強かった?」
「えぇ、風がひどくて」
「そう…、そりゃ厄介な雨だな」
ふと気付く。奥の女のグラスが空になっていた。
「何かお作り致しましょうか?」
「えぇ…、さっぱりしたもので何かお願いできますでしょうか?」
「そうですねぇ、モスコミュールは如何でしょうか?ウォッカベースで、非常にさっぱりとしたカクテルです」
「じゃあ、それお願いします」
「はい、畏まりました」
これまでに何回も作ってきたこのカクテルを、慣れた手つきで、細心の注意を払って作る。最初にライムをしぼって、最後にそのライムをグラスに入れ、軽くかき混ぜる。あっという間に出来上がる。
「はい、どうぞ、お待たせ致しました」
この何気なさが、仕事の上で一番大切だと思っていた。
女は、恐る恐るゆっくりグラスに唇をつけ、少し口に含んで飲み込む。ニコッとしながら「おいしい」と言った。
「ありがとうございます」
突然閃いた。相沢とこの女性客が会話すればいいと思った。
「そちらもどう?」カティー・サークのグラスには、大きな氷の塊が一つだけ残っていた。
「私も、お願いします」相沢が答える。
ニヤッと笑い、さっきと同じ手つきであっという間にモスコミュールを作り、相沢の前に置く。
「おいしい…」相沢も微笑む。
「この人、毎週来てるんですよ」大場は唐突に、相沢の事を女に対して言った。それは勿論、女の邪魔にならないよう十分注意しての事だ。