「それを、ベンチに座ってボーっと見てたんです。で、そのとき何となく、あぁやってるなぁと思ったんです。曇ってはいたけど、まだ雨は降ってなかった。だから、いつまでも座れてた。辺りを見渡せば、そういう風にしてベンチで休んでる人は、意外といなくて、私だけだった。そこにいるほとんどの人が、通り過ぎて行って、ひととこに留まっている人間は、私と、絵を描いている人間くらいしかいなかった。あ、あと、バイオリンを弾いてる人もいたか…」
「で、なんと言うか、みんな頑張ってる。そこが重要なんです。この地球で、みんなが。私の知らない人達が、死ぬ気で、何かやっとるんだということが…。誰もがとにかく何かやってる。そこにいる人だけじゃない、電車に乗ってても、仕事している人もいれば、デートしてる人もいれば、本読んでる人もいる。この店でも。とにかく、みんながそれぞれの世界を背負ってて、その人に固有の何かをやってるんです。…あたりまえの事かもしれないけど。そうかもしれないけれど、その事が私にはむちゃくちゃ衝撃的だった。この世界は自分だけじゃないんだと。それぞれが、それぞれに自分中心の世界を生きているんだと。自分にとって自分中心のこの世界で、その同じ空間に、地球上に、他人がその人中心の世界を背負って生きているんだと。その世界で何かやっとるんだと。今さらかもしれないけど、それを今日、心底深く思い知ったんです」
「だから、大げさかもしれないけど、今日という日がものすごく私には特別」
女は真剣に聞き入っていた。大場自身も、いつの間にか耳をそばだてて相沢の話に集中していた。この青年がこんな風に話をするときはいつも、どんな話でも、大場は集中して聞いていたいと思っていた。
「すごく素敵な考えだと思う…」女が静かに口を開く「私もそんな風に思いたい。きっと、あなたがそんな風に今日思ったのは、なんと言うかその、上手く言えないけど、とっても『本統の事』なんだと思う…」
「とは言っても自分でもよくわかんないですけどね」相沢は左手を自分の頭にやった。あまりに熱を込めた話ぶりだったことに自分でも気づき、照れてるんだという事が、大場にはよく分かった。
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「すみません」不意に相沢が声を掛けてきた「オールドイングランドをお願いします」
「はい、かしこまりました」見れば、相沢のグラスは空だった。女の方は、まだ半分くらい残っていた。「今日はペース速いね」
「いやぁ、その、お酒って本当においしいもんですね」
「うわぁ、『お酒が楽しい』ならいいんだけど、『お酒がおいしい』になると、こりゃ本物の酒飲みだよ」大場はウキウキしながらそう言った。
「そんなに強いんですか?」女が相沢の事を大場に尋ねた。
「強いも何も、変なんですよ」女の質問の答えになっていなかった。
「でも、すごく面白い方ですよね」
「そんなこと無いですよ」相沢は、明らかに照れながらそう主張した。
「変だね。へん、へん…」そう言い残して、大場はカウンター内の定位置に戻って行った。相沢のオールドイングランドを作るために。
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