修士論文提出

修士論文を、先ほど提出してきた。肩の荷が降りたというか、心が軽い。

昨夜の、研究室を出るとき、電気を消した室の中には、外の明かりが、窓のブラインドから漏れて入ってきて、そのほの白さが、なんだかよかった。印刷した修士論文を机の上に置いて、あとは明日の朝に提出するだけにして、安心して研究室を出るときのあの感じは、これからも胸に抱いていたい。

 

この2年間、いろいろなことがあった。世間でもそうだ。いや、「いろいろ」どころか、大変な時代を生きている。そのような今、研究に向き合い、学術的な議論を重ねる中で、社会科学の窓から世界に向き合う眼を育てることができたことは、どれだけ控えめに言っても、幸福だったと思う。

 

でも同じときに経験した、「別れ」はつらかった。一緒に暮らしたいなと思うことができた人との別れ、そして長年同居していた祖母との死別。論文執筆の最終盤、それはほんの10日前のことだが、通夜の後、葬儀場に一人泊まり、祖母の遺体と対話するなかで書いていた。あの濃密な時間は、祖母が最後にくれたプレゼントだったと思っている。

そして、〇〇さん。論文執筆のはざまに、少しでもあなたと長く会える時間をつくりたいから、以前にも増して集中して研究に向き合うことができましたよ。ありがとう。

 

これからまたどうしようか。

昨夜、寝る前に、なんだかこれから開いていく人生が楽しみでしかたなかった。

 

大切なことは、これからだ。やり残したこと、やりかけたまま放ったらかしにしていることが、たくさんある。読みかけた本。読もうと置いたままになっている本。書きかけた小説。研究で向き合えなかった課題。仕事。職場の同僚には、この2年間、ほんとうに迷惑をかけた。家族。人生。自分。

 

自分に集中しよう。でもそうすることは世界に向き合うことでもある。

自律と自己統治。研究の最後にたどり着いた境地だ。そしてこれは、これから生きていく上での羅針盤であり灯台でもある。

 

大学時代の恩師にも、報告しなければ。

祖母にも。喪が明けるまでの期間、自己と向き合う念仏三昧の時間を与えてくれた。

 

今は36歳。次の3月で、37歳になる。もう十分でもあり、まだ全然でもある。

 

とりあえず今日は、午前だけ仕事休み。論文を無事に提出できたから、午後は職場にいく。そして論文審査も先に控えている。とりあえずその準備もしなければならない。

 

これからも作品を、つくり続けたい。

いや、今度こそ、作品をつくろう。