修論審査を終えて③

文学部を卒業したら、4年間メーカーで営業として働いた。

客先で話していても、社内の技術部門と話していても、どこか自分はアマチュアだという考えが離れず、専門性に対する、あこがれのようなものが芽生えだした。ここではないどこかに自分の専門性を発揮できる場所があるような気がして、小説みたいなものを書いて賞に応募したりもした。4年目の年に、故郷の市役所を受けたら合格した。東京での生活は楽しいものだったが、転職することに迷いはなかった。いよいよ、自分の専門を見つけることができるのだと思った。

しかし地元に戻ってからも、自分の専門のなさを嘆く日々は続いた。むしろ深まった。どのようなときでも、「公務員である」という以外には何もなかった。基礎自治体の行政職員という立場に誇りなど持てなかった。市役所職員であることが、何か劣っていることの証しであるように感じたりもしていた。

やはり専門性を身につけなければと焦るようになった。専門性を身につけ、自分が公務員としてあり続ける上で持つ道具を、少しでも良いものにしたいという考えから、大学院で学ぼうと思った。市役所で働くようになって8年、大学を卒業してから12年たっていた。

2年間働きながら研究した。修士論文を提出した今、どう思っているか。

大学院で専門性は得られなかった。大学院は「専門家」になるための場ではなかった。今の私はそう思っている。むしろ、自分が素人であることを突き詰める場であった。もちろん深く学ぶ。しかし逆説的ではあるが、学ぶこと、研究することは、対象に対し自分が素人であることをアップデートすることであった。素人であることが再定義され、そのような、対象に問う姿勢で向かうあり方を、訓練する場であった。

先生は、知識よりも姿勢を提示された。眼差しの保ち方を指導された。もちろん道具の使い方も学んだ。しかしそれ以上に、問うということを、問えるということを自らの旨とする場だった。先生はそのような研究者としての姿で、私を指導されていたのだと思う。

今、修士論文を提出して、専門性に対する焦りは消えていた。そのことを喜べるようになっていた。