2021年3月20日 土曜 晴れのち曇り

昼過ぎまでは青空だったのが、夕方近くなった今、空はすっかり雲に覆われた。外を歩くと風が強く、しかし空気は生暖かな感じがした。

今日は、おそらく研究室で一日過ごすことができるのも最後だろうと思って、大学に来たけれども、結局、何もせずにこの時間になった。時計は16時を回った。

修士論文を提出して、成績も発表されて、次の金曜日には卒業式だというのに、なぜ大学に行くのと、朝、母に聞かれた。たしかにそのとおりだ。勉強しないと、と返事したが、具体的には何の考えもなかった。それでも今日は来たかった。もう最後だから。

ここ数日、仕事が忙しかった。大学側でも、二次試験の実施とかシステムの入れ替えとか停電を伴う作業だとかで、研究室が利用できない期間があった。だから大学に来たのは久しぶりだった。この間に、知らぬ間に駐車場入り口で、カードを挿す方法から認証方法が変わっていて、ゲートを開けなかった。まごまごしていたら、たまたま後続の車の人が親切で、新しいカードをかざして開けてくれた。自分も昨日カードを換えたんですよと言っていた。

研究室のいつもの席に座ったら、とりあえず、数日前から取り掛かっている、極東ブログを最初の記事から読み通すことの続きに取り掛かった。2005年4月12日まで読んで、今日の分は終わりにした。さて。

さて、ブログ記事でも書こうか。

2年間、働きながら大学院で研究してきたことを思い返す。意識の上では、職場よりも、この小さな大学のキャンパスの方が、この2年間の生活では中心だった。

昼、大学近くの中華料理屋に行った。もしかしたらしばらく来ることはないかもしれないと、心中でそう思っていた。しかし店の人に対してはいつも通り、ドアを開けて会釈、メニューを広げいつもと同じラーメンを注文、本を読んで待つ、いただきます、お茶を注いでもらってありがとうございます、ごちそうさま、会計。と、いつも通りの流れで店を出た。店の人は、いつもありがとうございますと、いつも通りに見送ってくれた。

学生の頃からだから、17、8年くらい前から、極東ブログは、途中、読むのを中断した時期もあったが、基本的に、生きる上での参照先であり続けた。村上春樹の書評やオウム真理教関連など、心に残る記事がたくさんある。そのような記事は今も読みかえす。そのたびに心に響く。

しかし今回改めて最初から読むことを試みたら、新しい感覚が伴った。それは、おそらく極東ブログ最初期の記事を執筆されている時、筆者は46歳くらいだと思うが、今現在、もうあと一週間くらいで37歳になる自分が、ここまで年齢を重ねて来たことでようやく、なんとなく、中年と呼ばれる層の男の心象というか、心の引っ掛かり、虚しさ、ささやかな何か、・・・とにかく微妙で言葉にし難い特有のこの「何か」を、本当になんとなく、自信はないが、共感できそうな気がしているのだ。自分もそんな年齢になりつつあるということか。どの記事が、といえば、いくつかの記事は明確にそうと言える。しかしそれらを並べることはしない。どの記事にも通ずる、トーンというか、眼差しの置き方。

私は独身だ。この独身であるという自分を見つめたい時、極東ブログの眼差しに触れてきたことが、よかったなと思える。なんだろうこれは。この感覚は極東ブログが女について言及する記事を読むときに感じるものとも通ずる。

極東ブログを読んで、私は、大島弓子さんや杉浦日向子さんの漫画を読むようになった。大学を卒業して数年経って、久しぶりに大学の後輩に会ったとき、私は、古本屋でみつけた『YASUJI東京』を「これあげる」と言って渡した。私は彼女に好意を持っていた。彼女もそれを知っていた。しかし何もなかった。今ではいい思い出だ。

思い出がたくさんある。京都の大学を卒業して、東京で4年間働いた。2011年までだ。だから私は、基本的に震災前の東京しか知っているとは言えない。もちろんコロナ前だ。でも、震災後、コロナ後の東京を知らない私の感覚を大事にしたい。今は地方の街で公務員をしている。いま、公務員でいることを問う機会でもあった、私にとって、この大学院での2年間は。

とりとめもないことを、まとまりもなく書いてみた。でも、なんだか大切な時間になった。時計は17時を回った。さて研究室を出ようか。

今日はお彼岸だ。家への途中、祖父母のお墓を参って帰ろう。

今日は3月20日地下鉄サリン事件があった日だ。このことも書かなくては。家に帰ったら、書こう。書かなくてはならない。