被害者、加害者、犠牲者②

我々の世間が持つ悪に対する犠牲。あるいは我々自身の悪に対する犠牲。

 

1995年、我々は、昨日まで我々の住む世界の中で我々の隣に存在していたものを、我々と異なるものとして悪とみなした。そして2011年、我々が住む世界で我々もそうであるものを、我々から断ち切ったことにして悪とみなした。2020年、今度は、我々の誰しもがそうなるかもしれないのに我々よりも早くそうなったものを、我々から離して、悪とみなしているのかもしれない。

 

我々は、我々自身の悪を見ることなしに、悪は我々の外にあるものとして見ることで済ましてきたようだ。そうして我々から切り離したつもりになった悪を、あるときには穴に落として蓋をした。またあるときは糾弾した。その糾弾しているまさに今、それに寄りかかって生きているというのに。そして今、我々は悪とどう関係を持っているか。

 

1995年、我々はその「悪」に、科学防護服を装着して臨んだ。2011年、今度はガイガーカウンターを手にした。あるいは放射線防護服を装着しないと立ち入れない場所ができた。2021年の今、私たちはマスクをしている。

 

我々はどうやら、悪なるものは、我々の外に存在していると考えているようだ。この何年かで、そう考えるようになってしまったようだ。

これがこの間の我々の大きな変化なのではないか。

 

(今、NHKのドラマを家族がみているが、「ヒノモト」という言葉が喧しい。)