4月18日(日)

祖母が他界してから、一連の法事のなかで、今日は百箇日にあたった。

朝、一旦、六時ちょうどに目が覚めた。昨夜は遅くまで、あてもなくSNSを覗いたりして夜更かししてしまったから、きっと翌朝は起きられないだろうなと思っていた。だから目が覚めて時計を確認するなり、あれっと思った。それからしばらく天井を眺めていた。脈絡もなく、今日が百箇日だからかなと思った。こういう時に何かにつけて、節目に重ねて捉えたくなるのが、私の考え方の傾向だ。「〜記念日」と言いたくなるのと、似た感性ではないだろうか。

たまたま早起きしたのが祖母の百箇日の朝だった、というだけだ。でもやはりなにか特別な朝のような気がして、なぜか、過去に古本屋で購入してから何年も放っておいたある人の全集の、第1巻を、開いてみた。意外にもスラスラ読めた。そうか、今日からこの全集を読み始めるのだなと思った。

第1巻のはじめの小品を読んだら、6時40分を少し過ぎていた。それからもう一度目を閉じた。再び目が覚めたら、8時30分だった。今度は廃品回収業者の車から流れる声で目が覚めた。一定の速度で、若い女性の声で、抑揚のないトーンで、同じメッセージを繰り返しながら走っていた。曰く、「壊れていても、構いません」。

下に降りたら、すでに両親は朝食を終えており、座敷で法事の準備をしていた。私も食パンとコーヒーで軽く食事を済ませたら、歯磨きをして、パジャマのままで風呂掃除をした。

9時半頃、隣に住む兄の家族が来た。全体的に黒っぽい服装の私をみて、嫂は、いつもの服で来ちゃったと、申し訳なさそうに言った。小学生の甥と姪は、自分の数珠を持っていた。向こうの祖母に、もらったと言っていた。兄と、兄の仕事の話をした。法事の準備がすっかり整った座敷で、兄と甥と姪と喋っていたら、ご縁さんが来た。10時になっていた。挨拶をして、法事がはじまった。

集まった親類は、両親と、兄の家族と、私だけだった。遠方に住む、叔母達や、妹の一家は来なかった。新型コロナの時にあたり、なかなか、集まりにくかった。またそれぞれの家族が抱える、大小の事情もあった。

無量寿経、焼香、正信偈、ご縁さんのお話、御文さん、終わり。

最後まで静かにしていた甥に、皆が「えらかったね」と褒めた。姪は、読経がはじまるとすぐに、嫂の膝で眠っていたようだ。

家族だけでささやかに、すべてが進行した。こういうのがよいと思った。

ご縁さんが帰った後、両親が、昼食に頼んでいた寿司を取りにいった。その間に、嫂が味噌汁を作った。私は、裏の畑に、ネギを取りにいった。雨になりそうだなと思っていたら、取ったネギを持って玄関の軒下に入ったところで、降り出した。と同時に両親も帰って来た。

皆で昼食を取り、雨の止む間を見計らって、街はずれの墓地に向かった。祖母の骨を納めに。

久しぶりに行くと、草が結構生えていた。皆で草むしりをして、花を供えた。次第に雨が強まってきた。スマートフォンで雨雲レーダーを確認した兄が、少ししたら止むと思うけどどうすると言ったが、父は、このままやってしまうと言った。草をむしり終えて、ひとまず準備ができたので、祖母の骨を、骨壺から開けて、半紙に包んで、お墓の中に納めた。骨を収納するお墓の石をどけて父が、手で入れた。甥と姪もお墓の中を覗き込んだ。甥が、真っ暗、と言った。彼らがどこまでわかっているのか知らない。

最後に皆で手を合わせた。父が、次は自分だと言った。いつかみんな入るんだねえと、母が言った。雨が強くなった。皆が傘を持っている訳ではなかったので、早々に切り上げた。

おばあちゃん、ごめんね、と言った。こんなに慌ただしくて。でも、うちらしいか。また来るね。

兄が、この雨がおさまったら晴れるのになあと言った。

皆んな、走って車に乗り込んだ。

慌ただしかったが、本当に、うちらしい納骨だった。ことさら仰々しくもなく、でも、心は込もっていた。

家に帰って、兄家族も自分たちの家に戻り、今、両親と私だけで、コーヒー飲みながらこれを書いている。隣の部屋で、くたびれたと言ってホットカーペットで横になった母が、ぽつりと、青空が見えてきてる、晴れてきた、三時半だ、と窓の外に目を遣って言った。

百箇日が終わってなんだかホッとしたわ、と言うから、なんでやろ僕も、とこたえた。