祖母の思い出①

祖母の、遺影の眼差しは、どの角度からでも、きっと、見ている自分にまっすぐ向かってくる。生前、母に言わせると「怖かった」という祖母が、この眼差しから、凛とした姿そのままにあらわれているようだ。祖母の遺影の写真が、私は、好きだ。

でもこの写真が好きなのには、もう一つ理由がある。兄の披露宴会場の外で、祖母と私が並んで撮った写真なのだ。元の写真では、用意された椅子に座る祖母と、その横に立つ私。祖母の片方の手は杖を握っている。その手のすぐ上に私の手がある。

たしか、椅子に座る直前まで、私と手を繋いでいたのではなかっただろうか。この時はまだ歩けたが、だんだんと、歳を重ねるごとに足元がおぼつかなくなる祖母を、病院や買い物に連れて行くとき、その多くで、私が手をつなぎ祖母を支えていた。

祖母が他界して棺に蓋をかけるとき、祖母の手を握った。元気な頃と同じく、きれいで柔らかい彼女の手の感触を、今でもはっきり覚えている。

 

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2010年の暮れ、震災前の東京から、関西の祖母の住む家(そこは学生まで私も住んでいた)に、私は帰ってきた。会社を辞める少し前、実家で会った際に、来年から帰るからと祖母に言ったら、驚き、でも喜んでいたように思う。「そう」と言い、次に「なんで」と問われたから「試験に受かったから」とだけこたえたと思う。

翌年の5月、近くに住む大叔父が他界した。この大叔父は、祖父の弟で、生前、しょっちゅう、うちにお茶を飲みにきていた。どうでもよい話をいつもお土産に持ってきて、この、どこか剽軽なところのある大叔父と、生真面目な祖母の、老人二人がそれぞれピントを少しずらしたままでも成立してしまう会話を、同じテーブルでお茶飲みながら聞く時間が、私は結構好きだった。

その日は、新しい職場でまだ日も浅いから、あまり仕事も多くなく、早く帰ることができた。いつものように明るいうちに帰ったら、玄関の外に椅子を出して、祖母が足を組んでぼーっと座っていた。遠くの空を見ているふうだった。明らかにいつもと違った。どうしたん、と聞くと、「おっさんが死んだ」と言った。驚き、そして次に、おっさん家に行こう、と言った。この日、母は、1週間に1度、単身赴任している父の家に行く日だったと思う。家には祖母と私しかいなかった。

仕事から帰ってきた格好そのままに、歩いて数分で着く大叔父の家に、祖母を私の自動車に乗せて連れていった。大叔父は、家の中でこけたときに打ちどころが悪かったらしい。あっけなく死んだと、大叔父の息子が教えてくれた。今思えば、この息子さんが祖母に電話で知らせてくれたのだろう。それからどれくらいの時間、玄関前の椅子に座って空を眺めていたのだろう。

着いたときまだ誰も来ていなかった。長年の仲の大叔父の死に、親類の誰よりも早く祖母を連れて行くことができた。このことだけで、東京から帰ってきてよかったと強く思ったのを、今でも覚えている。