父①

晩年の祖母と一緒に生活するなかで、家族の結節点には、常に、介護の「問題」があった。家族の間のやりとりは、いつも、祖母の介護に関係あることがらとして成り立っていた。

あるいは、家族の間で、誰かから誰かに発せられる感情は、「祖母の介護」という容れ物があることで、かえって、交換が容易になった。誰かの不満は祖母の介護に結びつけ吐き出され、また誰かのよろこびも(それは不満に比べれば出現頻度は少ないものであったが)、祖母の介護に関するものとして分かちあわれた。

変な言い方になるが、祖母の介護という「問題」があることで、かえって、家族間のコミュニケーションは円滑だった。

しかし祖母が故人となったいま、そのような、コミュニケーションをつかさどり機能していた「便利な」容れ物がなくなった。これは自分でも不思議な言い方をしてしまうのだが、家族は、久しぶりに、それぞれがそれぞれに対し、向き合うことになった。

そして考えてみたら、私と父との間では、このような事態は、実感としては初めてのことだった。

とても大きな困難を感じだしている。いまや数年ぶりに、祖母の介護という各自が目前に持っていたものが外された。父を直截的な対象として会話するとき、私は、そのコミュニケーションの難しさを、痛切に意識しなくてはならなくなった。

おそらく、誰もが通ってきたであろうこの問題に直面する時を、私はいま人生で迎えている。そしてこの時をようやく迎えたことを、いまさら遅かったとは考えない。もちろん不要なことでも、不愉快なことでもない。少なくとも皆が寝静まった今この時間であれば、そのように冷静に捉えることができている。

これから少しずつ向き合って、少しずつ文章にしていきたいと思っている。