早朝、両親が遠くの街に住む妹の家にいった。私は、二人を見送った後、洗濯物をほし、風呂掃除をし、それから眼鏡を買いに車で出かけた。

これまでフレームなしだったから、次はありのを選んだ。5年前からかけている眼鏡のレンズが、気づかないうちに黄色がかった色になっていた。先日、湖岸のお店でコーヒー飲みながら、ふと眼鏡を外したときに、世界の色が変わった。空と湖が覚めるような青色に変わった。いつのまにか私は、こんなにも黄ばんだ世界に住むようになっていたんだと思った。

1週間後にできあがる眼鏡に変えることが、気分を入れ替えることにもつながればと思った。

買物の帰り、なんとなく高速道路にのった。海のある隣の県の方向に走った。運転する車の中で音楽を聴いた。普段は決してかけないような大きな音量にした。誰かとの約束も、どこに行くあてもなかった。

 

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世間とか、普通とか、一般とか、そのような言葉の響きを、37歳になった今でも、重荷として感じてしまうのであった。人付き合いとか、異性との交際とか、そういったことを人と同じようにこなすことが、私はどうにも困難だった。人の輪の中でニコニコしている自分を、遠くから見つめているもう一人の自分は、かなしさを感じていた。このかなしさは、私が遠い過去からずっと抱えてきたものだった。

人の優しさをむげにしてきた。皆から離れた場所にすわり、輪を眺めている私に、輪の内から手招きしてくれる人がいた。その人の優しさは嬉しかった。でも、その輪の中で自分がすわることができた場所を、自分の居場所だと受けとめることはできなかった。

そうしていつも一人でいることに居心地のよさを感じるようになっていった。もう10年以上も前になる、震災前の東京に住んでいた頃、毎週、土曜日の夕方からはバーで過ごした。いつも一人で来て、カウンターの奥に座る私に、東京を去る最後の夜、カウンターの中の人が、いつも一人だったねと言った。

一人でいることの居心地の良さに、慣れてしまっていた。一人でいることを放っておけない人が時々現れた。「二人になってもいいんじゃない?」

でも、そのような人が差し伸べてくれた優しさに、本物の孤独に追い詰められたことのない気楽な私は、ただ甘えただけだった。

世間で皆と肩を並べた場所に居心地の悪さを感じつつも、この恵まれた世間から出ることを思えなかった。社会の中に自分が立つ場所を作っていくということを、行わずに生きていられた。率直に言って、私は世間の優しさに甘え、その優しさの上に居座り、のうのうと日々を重ねていた。

 

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本当は海辺に出たかったけれども、家の玄関に鍵をかけて出てきたことを思い出し、鍵を持たずに出ていった両親がもし自分より早く帰ってきてはといけないと思い、適当なところで引き返した。途中に寄ったラーメン屋で大盛りのチャーシューワンタン麺を食べたら、少し胃がもたれた。でも同時に少し気分が晴れたようにも思った。