記憶①

両親が育った湖のほとりの街の病院で私は生まれた。

それから父の仕事のため、中部地方にある大都市圏のニュータウンと呼ばれる地域で、私は育った。

先日何気なくインターネットで検索したら、その地域が開発される以前に撮られた、上空からの写真があった。私が住んでいたのは、かつての山の尾根にあたるところであった。

 

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私が育った団地は、JRの駅からバスで坂道を登っていき、バス停から、さらに、坂道を歩いて登っていった先にあった。その坂道の両側には桜の木が街路樹に植えられ、街路樹に沿った歩道は、その根っこのせいで舗装が不規則に膨らんだりへこんだりしていた。

坂道を登りきったところは、公園と、小学校と中学校と高校が固まった一角だった。そのうちの小学校の運動場側の向かいに、私の住む棟はあった。

住んでいたのは、4階建ての棟の一階だった。もともと両親は別の棟に住んでいたのを、子育てするなら木の高さまでで暮らさないといけない、という母の考えで、兄が生まれる前に引っ越してきたらしい。部屋は台所の部屋も入れると5部屋あり、廊下がない独特の間取りは、機能的だった。南向きのベランダのすぐ外には、フェンスに囲まれたちょっとした空間に、ツツジと桜が植えられていた。春に遊びにきた祖母が、ここは家で花見ができていいなと、言っていたのを思い出す。