記憶②

小学校の運動場を囲うフェンスから、家のキッチンの窓までは10mも離れていなかった。休み時間にフェンス越しに大きな声で呼びかければ、声に気付いた母が窓から顔をのぞかせた。そのようにして忘れ物をフェンス越しに受け取ったことがある。体育の時間中に家の方に目をやると、窓から母が授業の様子を見ていたことに気づいたこともある。私が手を小さく振れば、母も手を振って応えてくれた。

たまに母が留守をしている家に帰宅して、玄関の鍵が開いていないことがあった。そんな時は、棟の裏側に回り、ベランダの壁をよじ登って家に入ることができた。ベランダの戸には鍵がかかっていなかった。母も私がそこから家に入ることを当たり前のことに、鍵を開けたまま外出した。

当時の団地での暮らしには、おそらく昔の長屋での暮らしってこういうふうだったんだろうなと思えるような、近隣関係が息づいていた。近所には同じ年頃の子どもも大勢いた。何人かの友だちと一緒に、子のいないおばさんの家で、おばさんの焼いてくれた生まれて初めてのホットケーキを食べた。年上の友達と一緒に公園にある真ん中に穴が空いた円形のゴミ箱のふたをひっくり返して、ミニ四駆を走らせた。子ども会の夕涼み会で、肝試しの後に皆でカレーライスを食べた。近所のおばさんが自宅で開いているそろばん教室や書道教室に、皆で通った。棟と棟のあいだには、公園の他にも、自動車が進入できない小路や橋などがたくさんあった。昔の山の名残の雑木林もあった。どこもが遊び場だった。そしてどこにいても、知っている大人の目があった。

人工の街区はとても機能的に設計されていたが、余白もあった。そして温かいコミュニティが存在していた。そのコミュニティを支えるものは血縁関係ではなかった。地縁とも違った。全国から寄り集まった様々な名字を持つ家族が、一つの街で隣りあい、暮らしを営んでいた。そこにあったのは、長屋的なつながりといえるもののようであった。