伊藤計劃「ハーモニー」を読んだ。いま、この小説を読むことができてよかった。

もう他界して数年経つ母方の祖母のことを思い出した。

母方の祖母は他界するまでの数年の間、認知症が進行し、徘徊とかするようになっていた。そのとき祖母と同居し、しかしそれぞれの人生を歩みはじめてバラバラになろうとしていた叔父の一家は、家族による祖母の介護が難しくなり、施設を利用した。叔父の妹や弟の家族も、そんな叔父に代わって祖母の介護に十分関わることはできなかった。もちろん私もその中にいた。

祖母が入った施設では、「本人がおだやかな生活を送れるように」という言葉の元に、祖母に薬の服用を勧められた。進められるままに祖母は薬を服用することになった。家族はそれに同意した。

徘徊してしまう祖母に、周りの家族は「おだやか」さを望んだ。

母と私と、祖母と祖母が入る施設に行く道中、祖母は、立ち寄ったスーパーマーケットで、自ら商品を選んだ。その姿が、私が見た、祖母が自分で自分を持することができた最後の姿だった。

施設で「おだやか」なとき、祖母の自分は、どこの何を見て、何を感じていたのだろう。

これを思うとき私は痛みを感じる。

新型コロナウィルス感染症の広がった世界について考えるため読み始めた「ハーモニー」だったが、私は、そうではない、今はもうこの世界に存在していない祖母のことを思い出した。

薬によって「おだやか」になった祖母の姿を思い出した。