隣の部屋で、両親がテレビを観ている。紅白歌合戦で、BUMP OF CHICKENが歌っている。

大学生の頃、カラオケで、部活の先輩がいつも歌っていた歌だ。なつかしい。

と思っていたら、「おかえりモネ」の主題歌になった。キッチンのテーブルでこれを書いている私も、しばらく手を止めて、隣の部屋のテレビを眺める。

妹夫婦が、年末年始で子どもを連れて帰ってきている。さっきまで一緒にいたが、小学1年と幼稚園年中の甥たちが寝るのにあわせて、今夜はもう寝室に引き上げている。

毎年大晦日の夜は、窓を開けて、除夜の鐘に耳をすませている。そのうち、近くの寺に打ちにいくこともある。でも今年は大雪の影響で、近くの寺での除夜の鐘は中止らしい。

 

隣の部屋では紅白から、NHK教育のクラシックに変わった。「展覧会の絵」。好きな曲だ。

 

今年は、読みかけの本を何冊も中断したままにしている。でもそんな中で、finalvent氏の、本や、ブログや、noteを、最初から最後まで読んでみた。

氏の文章は語りかけるようだ。ジャーナリズムを補う発言、市民社会を構成する市民としての発言、読書家としての発言、そして、親密な関係性の中に生きる個人としてのエッセイ。媒体も、書籍、ブログ、ツイッターなど。文章は触れられるものだけで様々にあるが、どの文章にも貫かれる氏の眼差しが、私は心から好きだ。思えば、学生の時に氏のブログに出会ってから、誰よりも影響を受けたかもしれない。もうすぐ38歳の、立派な中年である私が、いろんなところでほころびや、ガタを身体に感じ、それでも心は若いと思っているのに、やはり確実に老いていく実感を抱く中で、そして私生活や仕事にいろんな難しさを感じる中で、そうであったとしても、「ドンマイ、大丈夫」と思えるのは、氏の文章がいつも隣にあったからだと思う。

 

今年は修士論文が完成した。働きながらの大学院生活は大変だったけれど、やり遂げた充実感があった。先日、指導教官とメールのやりとりをすることがあり、「修士論文を完成させたことで、必ずしも仕事ができるようになったとは思えなくて、むしろ難しくなりました。しかし、楽しいと思えるようになりました」と書いた。それに対して指導教官は、「瞬発力ではなく持久力ですね」と指摘してくれた。まさしくそうだと思う。仕事と向き合うために必要な持久力の源泉を、修士論文を完成へと向かう過程の中で、掘り当てることができたように思う。

 

別れと出会いもあった。

昨年末に、大切だと思っていた人との別れがあった。年初に、祖母が他界した。大学の後輩の訃報が届いた。

それでも、新たな出会いがあった。この出会いがこれからどうなるのか、そのことに自分はすなおに向き合いたい。自然に受け入れていきたい。

 

実り多い一年だったと思える。

来年も、すなおに、いろいろな出会いを受け入れながら、生きていくことができればと思う。