恋せぬふたり⑥

第三話のメモ。

  • 好きなアイドルには、活動していなくても「推しは推し」と言い切れるのに、恋人には、キスをするとか、セックスをするとか、行為を求めてしまうことの矛盾。
  • 活動休止中でも解散と言わない限り継続するものとしての関係。それに対して、現に同棲していても「(仮)」がつく関係。
  • 「付き合っている」という「名付け」が先行することで、そこに同意がなくとも、キスやセックスという行為が許されると思ってしまう関係。それに対して、現に同棲して役割りも分担して家族みたいであっても、「家族」に「(仮)」を外さない、「名付け」を安易に行わない関係。
  • バスケが好きだったのに、人間関係の困難さからバスケをやめた。バイト先にもサークルにも居づらくなってやめた。スマホに残っていたサークルの写真を削除した。(そういえば、第二話でも、家族の写真がたくさんあった)。写真があるから、思い出せる、かつて確かに「それ」があったと言える。そういうものとしての関係、記憶のあり方。写真を消すことは、関係を消すことだった(フォルダが空になった)。
  • 羽にとって祖母は、かつてこの部屋に住んで居た存在、かつて一緒に行った喫茶店でケーキを食べていた存在として、写真なしに「思い出されている」。回想シーンすらない(それは、羽とはドラマにおいてあくまで咲子が見る羽であるから、咲子以外の心象風景は羽であっても回想シーンすら描かれないのかもしれないが)。その祖母と同じ行為(祖母の部屋に住む、祖母が食べていたケーキを食べる)を、今、咲子がしている。
  • 咲子にとっての自認とは、決して、羽に「教えられること」ではないと思う。咲子が、羽に「語ること」によって自認を深めていく、羽は、そのきっかけ。咲子が語るために必要な装置的な役割。
  • 羽は能におけるワキみたいなもの。そうであるならば、シテである咲子が、カタることによって、救われる過程が描かれているのか。
  • 友人や家族は、さくこに「いつかわかる」「まだ出会っていないだけ」と言った。その「わかる」「出会う」とは、未だ到来していないもの(異性の恋人)のことだった。しかし、羽との出会いを通して、わかり、出会ったものは、「自分」だった。自分が「わからないこと」を言葉にすることだった。自分に向き合うことだった。
  • 咲子の特典を巡る旅は、クリーニング真っ白亭から始まり、赤いコートを身に羽織い、祖母が食べていた白いケーキを食べて終わった。