相沢のweb日記 卒業式を控えて

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布団に入っても、なかなか眠れないまま、時計を見たら、三時半になっていた。窓の外に目を遣ったら、雪が積もっていた。寒い、布団にもぐる。それが、息苦しくなって、余計に眠れない。
携帯電話を見た。迷惑メールがたくさん来ていた。件名が滑稽だと思った。

枕もとの電気をつける。
眠れない夜に本を読むのは絵になる、そう思ったので、本棚から適当に本をとって、頭を起こしてうつ伏せになって、読んだ。このとき、頭は完全に冴えていた。
太宰治『グッド・バイ』(新潮文庫)
この本は高校生の頃読んで、中身をすっかり忘れていた。なぜこの本を今手に取ったのか、その判断の基準は分からないが、いま、この本を読むことが出来てよかった。
「薄明」「苦悩の年鑑」「十五年間」
そのとき、これだけを読んだ。起きてから、「メリイクリスマス」を読んだ。どれも面白い。
先日、追いコンの席上、後輩から「相沢さんは新歓のとき、新入生と話すのに太宰の話ばかりしてましたよ」と言われた。たしかにそうだった。特に、文学部の子に対してはそうだった。話をして、新入生の暇つぶしのためになるのではなくて、私が、太宰の話をするのが楽しかった。能の話よりも、太宰のほうが楽しかった。太宰の読者は、誰もが、自分こそは太宰の唯一にして絶対の共感者だと思い込む。当然、私もその例に漏れない。当時のきめ台詞は「僕は『人間失格』を読んだことがない。おそらく、死ぬまで読むことはないだろう」というものだった。説明は略。
当時、この言葉を聞いた人は大勢いると思う。今謝る。ごめんなさい。さぞや暑苦しかったでしょう。本当にすまない。
しかし、謝っておきながら、当時の光景を思い出して、とても微笑ましく思う。自分の事なのに。自分の事を微笑ましいなんて、変だが、こうして書いている私は、今現に微笑んでいる。幸福な思い出である。
三回生、四回生になると、太宰の話はあまりしなくなった。もっぱら、能の話である。なぜなら、太宰の事を忘れてしまったから。それだけ、能は強烈だった。観世寿夫や、鈴木忠志を読んだのも、二回生のときである。三回生に上がるとき、ゼミ選択では、中世を選んだ。「鸚鵡小町」「定家」は、三回生のときに観た。部活も、ますます充実していった。
四回生。卒論で、金春禅竹を論じた。今読み返すと、非常に鼻息が荒く、それでいて、内容は拙い。でも、およそ一年かけた、その結晶である。濃い。断然濃い。四年間で一番である。部活では、能を出した。これに関しては、説明の必要なし。
能はいいものだと、心の底から思う。何度も言うが、大学で、能と出会って、本当に良かった。
そして昨晩、太宰を読んだ。本当に久しぶりに。
面白かった。何か、私の皮膚にこびり付いたものが、ぱらぱらと落ちていくような気がした。
それぞれの作品を読んで、読みながら、ああ読んだことがあると思った。昔読んだときには感じなかったことを感じた。しかし、それよりもなによりも、高校生のときの私と今の私とを比べて、太宰に対して、非常に申し訳ない気分になっちゃった。太宰さん、ボクハコンナニモマルクナッテシマイマシタヨ。コウコウセイノコロ、アレホドアナタダケヲオイカケテイタノハナンダッタンデショウネ?ドウセダイカラ、サイネンショウアクタガワショウジュショウシャガタンジョウシテ、ケットツバハイタボクハ、ドコニイッテシマッタンデショウネ?
悲しくはない。四月からは晴れてサラリーマンの身である。

話を戻す。
私は、いま、この本を読むことが出来てよかったと、心の底から思う。なぜなら、太宰的な何かが、かつて私の中に存在し、今も、それに共鳴することができるということが分かったからである。太宰を、(非常に臭い言い方だが)青春の一ページに押し込める(それは、とりもなおさず、おっさん化するということである)のを、未然に防げたのである。入社式を目前に控えて。うれしい。自分の中で、『人間失格』を読まない限り、太宰治は常に現在で、同時代なのである。

非常に大げさな物言いになった。
ここにきて、今日の日のこの日記を公開するのは、非常に恥ずかしいが、これを恥ずかしいと思わないのが、人間の愛すべきアオさであり、その恥ずかしさを克服することが、私からの、せめてもの太宰に対する償いである。
ん?何を言ってるんだろう、オレは。
とにかく私は、かつて太宰を愛し、今も愛している。その愛の形は、年を経て若干変わったが、大筋では変わらない。いつか、化ける日が来るかもしれない(これ意味深)。
とにかく、太宰を思い出せてよかったと、そう結んでおいて、本日の筆をおくこととする。さらば。