2008-01-01から1年間の記事一覧

絵に引き込まれる。

絵は四枚あった。それらの絵は、一つの物語を形成しているようであり、その、前後ある物語の中の、ある瞬間を捉えたものだった。 それは、足の不自由な女性が、窓辺のいすに座って、じっと外を眺めている、暗い室内に、窓から光がふりそそいでいる絵。家の外…

私も、心がウキウキしてくる。どうしてだろう。こうして、幸せそうな人々に囲まれていると、まるで、自分までもが幸せであるかのように思えてしまう。でも、実際、私は幸せなんだろうか? 結婚前の私は、結婚後の生活に夢を抱いていた。きっと、いつも夫の事…

目当ての駅に降り立つ。今は昼間だが、街路樹の電飾を見れば、夜のイルミネーションはさぞ美しい事だろうと思う。季節は、クリスマスなのだ。 平日にもかかわらず、街には割と人がいる。その多くが、友達や、恋人や、家族と一緒で、ここぞとばかりのおめかし…

町に出よう。 何の目的もなしに、町を歩いて、疲れたら喫茶店に入ろう。喫茶店で、大好きな小説を読もう。買い物なんかしなくとも、とにかく、町に出よう…。 *** 洗濯物の量は多くなかった。それから、風呂掃除をし、少しだけ部屋に掃除機をかけた。天気予報…

小学生のころの幼なじみに、よく周りの友達を叩く男の子がいた。もう随分会っていないその彼が、少年の姿のまま昨夜の夢に出てきて、私に何か囁いた。 何を囁かれたのか、覚えていない。そういえば、夢の中で彼は誰も叩かなかった…。 *** 昨夜から、風が強か…

電車のなか、ベビーカーで眠っている他の家の赤ちゃんを見て微笑む夫。

蝉丸 母は、弟を産むと死んだ。 私は、弟が物心つく前から、母になりかわり弟の世話をした。弟は、生まれつき目に難病を抱えており、しかも、手伝いのおばさんになぜか馴染まなかったからだ。本当に手がかかった。それでも、私にはたった一人の弟だった。こ…

*** 黒塚 破れ家に一人住まう女は、美しかった。ろうが溶けるような美しさだった。決して若くはないが、ある潤いを内奥に秘めていた。それは、長く閉ざされていた情念の水だった。 長く人と会わなかった。訪ねてくるものは誰もなかった。それが、ある夜逞し…

それから、彼女が途中で乗り換えるまで、ずっと一緒だった。よく喋る彼女だった。最後に、「また明日」と言って別れた。それから長い時間かけて、家に着いた頃には、もう、とうに日は暮れていた。 ***

「一つ教えてあげる。女にとってね、結婚の相手はそんなに重要じゃないの。誰でもいいわけじゃないけど、運命の人なんていないの。女にとっては、恋愛と結婚は別。たった一つの大切な恋愛の思い出で、その後、別の結婚を生きることだって出来るの。そういう…

「好きなの、ああいうの?」 「え?」 「いや、その、まさか堀辰雄を読むような人だとは思わなかったから、ものすごく意外で、」 この人は何を言っているのだろう。 「それってどういう事?」 「いや、その、何というか、ああいうのって、か弱い人が読むもの…

夕刻の帰り道、正門から駅までの下り坂を、相沢は考え事しながら歩いていた。 「さっき、自分に話しかけてきたひとは誰だろう?」 同じ学科で、顔だけは見知っていた。しかし、喋ったことはこれまで一度もなかった。どのゼミに属しているのかも知らなかった…

堀辰雄の「菜穂子」。その時、相沢が最も好んで読んでいた作家で、図書館で借りた彼の薄紫色の表紙の全集を、いつもカバンに持ち歩いていた。静かな夕べなんかに、誰もいない部屋で「姨捨」を読み終えたときなどは、なんかこう、ふふと笑いだしたくなるよう…

多くを振り払って生きてきた。顧みなかったものの中には、きっと、大切なものもあったのだろう。そうして、人を悲しませたのかもしれない。でも、そうしなければたどりつけない真実があったと、そう、頑なに信じていた。 人と交わることは負けだと思っていた…

「間違いなく俺は孤独である」

相沢は、そこで、四枚の絵に出会った。 一枚目は、「幽霊の街」という題だった。誰もいない街、しかし、建物の開いた窓から、痕跡によって何者かの存在が示されるような街だった。 二枚目は、湖を挟んで遠くにぽつんと林が見渡せる、それ以外は何もない大地…

その次の日、会社を休んで美術館に行った。

彼女をホテルまで送りとどけたあと、私は、やたらに、歩きたかった。このまま、すぐ帰るのはいやだった。だからと言って、他の店に行こうとは思わなかった。素面のままで、ただ、歩いていたかった。 *** ホテルまでは、一言もしゃべらなかった。彼女が前を歩…

「!?」 「あなたの知らない人。あなたの知る必要のない人。私だって、彼を知らない。でも、もう決めたの。結婚する。それを、どうしてもあなたに言いたくて、それだから、東京まで来たの。有給なんて嘘。とうに仕事は辞めていた。私、結婚するの、だから、……

*** いくら、どれだけ小説を読んだところで、それで、何かを書くことはできない。何もないところには、何も生まれない。小説は、自分の中の虚空に、己の人生を種として生まれる。そんなの当たり前だ。しかし、その当たり前の事を、私は信じたくなくて、対象…

ほんとうに、書けるのであれば、書きたい。私に、書けるものがあれば。 「僕こそ書きたいよ。書けるのであれば。書きたいよ。でも、書けない。僕の中にも、僕の周りにも、どこを探しても、どこにも物語が無いんだ。書こうとして、でも書けなくて、その時はじ…

「でも、あなたは、今私は変わらないと言ったけど、それでも、なんというか、大きくなったところがあるように思う。大人になった、優しくなったような気がする。変わらない部分と、変わった部分が、ないまぜになって、時々顔を覗かす変わった部分が、私には…

イエスと言わない。 この心が。 *** 辺りは、他の客の会話でざわつき始めている。いつの間にか、カウンターの席はすべて埋まっている。私達は、それでも、私達の空間のなかで、お互いの温かな静けさを感じ合うことが出来ている。 いつも、会話は一方的だった…

「でも、いつも思っちゃうんだ。能楽堂を出たら、あたりは真っ暗になっていて、他の人に混じって、でも一人、ぞろぞろと駅まで歩いて、何台もの車に追い越される。やっと駅について、切符を買って、ホームで電車を待って、少し待てば、電車は来る。乗る。吊…

「関寺小町?」 「うん。数ある能の曲の中で、最奥の曲とされていて、ほとんどの能楽師がこの曲を披くことなく終わるような曲」 「すごいんだ」 「むちゃくちゃ。観て、人生が変わった。」 *** 「この能は、永遠と時間を描いた能で、 百歳の小町は移りゆく存…

熱いシャワーを浴びた後、ベランダの洗濯物をといれるときの、夜風の心地よさ、その時のような感じ。彼女がいるときはいつもそうで、彼女が、ただそこにいれば、それだけでもう大丈夫なのだ。やさしい何かに撫でられているような気分になれるのだ。 暗い店内…

私達は、久しぶりに再会したが、それは、本当に久しぶりであるにもかかわらず、昨日からの連続の出来事であるかのように思えた。そして、その昨日、私達は、笑いあって別れたような、そんな、別れであった。実際、今、何も思うところなく、私は笑い、彼女も…

これは、村上春樹が描いた、世界の終りだ。 ヴィルヘルム・ハンマースホイの描く世界。風景画の、雲は、作者の想世界の果てであり、意識の層が、あの、幾重もの雲。死者の町。人々の時間は、重ならない。時を共有せざる者たちの集まり。夢、あくまで、画家の…

変わっていない。久し振りの印象はそれだった。あの頃と、少しも変わっていない。 彼女は遠くから、私に気づくと手を振って、そして、笑っている。久しぶりの笑顔に私は、なんだか昔に帰るような気がした。こちらも、笑って応える。彼女はいつも朗らかに笑っ…