相沢の実家は滋賀県で、家から琵琶湖までは歩いて行くことが出来た。夏のまだ涼しい早朝に、湖岸を散歩するのは楽しかった。また、夜の琵琶湖を、公園のいすに座っていつまでも眺めているのも、好きだった。相沢は、京都の大学を卒業後東京で住むようになるまでの、青春の大半を、そのほとんどの時間をこの美しい湖のほとりで過ごした。

東京では、下宿の近くに一軒、気に入りの喫茶店ができた。土曜と日曜の朝に、そこでゆで卵とトーストとコーヒーの朝食を取りながら、小説を読むのが一番の楽しみで、それ以外には、時々映画を観にいった。しかし、生活の大半は、会社にあった。月曜日から金曜日まで、毎日会社まで電車で通った。

東京に住み始めてから、相沢の胸を、さまざまな思いが来ては去った。
夢、それこそが最も大きな問題である、そして、相沢にとって、今の自分の仕事はどうであろう?自分の生きる道は、いまここにこうしているということが本統なのだろうか、と。高校二年での太宰治との出会いから、小説を書くことは常に、他の全ての諸問題に先立って優先されるべきであった。しかし、結局として、一作も完成の目を見ることはなかった。

大学にいた四年間は、早かった。その早くて短い四年間で、ただ一つ、出会えたものがある。能である。
自分では気付かないうちに、小説を読むこと以上に、能を観ることに夢中になった。観るだけでなく、自分で舞い謡いもした。深い鉱脈に当たった感じだった。能からは、たくさんの、大切なものを学んだ。