書けない。
書きたいのに、書けない。ここにコップがある、中には水が入っていない。たとえ水を注いでも、コップが水を吸い込み、一滴も中には残らない。そんな状態だ。

相沢の焦りは極度に達した。山に入って、そろそろ半年になる。しかしまだ一作も書けていない。はじめにあった余裕は、もはや微塵も見られない。焦燥と孤独。相沢は押しつぶされそうだった。山は、森は、相沢に何も力を貸してくれない。ここでは、この山深い暗い緑の中では、自分の力のみしか頼れるものはない。

人に会いたくなった。
会いたい。
そして、

「あの人は、今、何をしているだろう」

唐突に、大学の町にいるその人の事を思い、思いが言葉として出た。山に入った半年の間で、相沢がはじめて発した言葉、久し振りに聞く自分の声だった。