六畳間のピアノマンについて②

ドラマは、今日が最終回だった。今回、主人公は、夏野との間にどのような関係を持つことになるのかという一点だけに注意を向けて観ていた。

観て驚いた。描かれていたのは、純粋な死者との交流だった。

有村がピアノマンに出会った時、すでに夏野は死んでいた。そしてそのことを有村は、夏野の元同僚からのメッセージで知ることができた。しかし有村にとっては、元同僚や夏野の父親とは異なり、夏野は思い出として存在し得なかった。上河内のように、忘れるということすらも経験できなかった。有村にとって、夏野は最初から死者としてしか、それも、見知らぬ者からの伝聞によってしか存在しなかった。

しかしそれでも、有村にとって、ピアノマンは確かに存在した。他の誰よりも、「純粋な存在として」ピアノマンは彼女の中に存在した。彼女の中で、彼は夏野ではなく、今、存在している「ピアノマンさん」だった。

今回最後のシーンで、有村は、ピアノマンを歌った。ピアノマンという自分を励まし救ってくれる存在を自らの内に抱きながら生きていこうと、まさに自分の人生を、誰に依ってでもなく自らに依って歩んでいこうという、彼女の生きる姿が示されているように思えてならなかった。

今日観て、私も救われた。それは今を生きる私たちを、ドラマ越しに励ます姿だった。