自分に向けた日記
見合いをした。
私の内面は、もしそのようなものが存在するのならば、それは、これからどこに安息の場所を見つけられるだろう。
「今度の休みの日にお茶しませんか」
「今日は仕事だったんですね。おつかれさまです」
「いちにち暑かったですね」
「無理しないでくださいね」
「僕はいいんです。あなたにとっての方が大事だと思うんです」
もし、内面というものがあるのだとしても、それは、誰かと私との間の、あわいに存在することは、必要とされていなくて、二人の会話は、ありきたりなもの、取るに足らないもの、どちらも傷つけないもの、そういうもので終始しても、それでいいんだ、そういうものなんだと、そう思うことにした。
それでも、私は相手のなにを観、相手も、私のなにを観ようとしているのだろうか。そもそも、何かを観る必要はあるのだろうか。
私が好きなもの。私が大切にしたいもの。私が大事だと思うもの。私の記憶。それだけじゃない。
私の醜さ。私の中に巣食う悪。そういったものまでも、それでも、どうしようもなく愛おしく思う私。
ここに私の歴史がある。
そのような私を、ひとり、私だけでも、みつめることができていれば、それでいいじゃないか。誰かに気に入られることなんか、望まなくとも。
しかしそれでも、目の前の誰かにどう思われているのか、考え、取り繕ってしまう。
そしてその人の気に障らないように、言葉を、慎重に選び、取り繕う。
そしてそのような自分を、ある面で、仕方ないと肯定してもいる。
そうして帰ってきた部屋で、椅子に座り、大きく息を吸う。
そんな自分は嫌なのに、でも同時に、そんな自分を否定もしない。その先に道が続くのならば、そのまま歩いて行ってもいいかとも、思ってしまう。
感情を、思考を、書き置きたい。でも、書いたら、そのはたから、言い足りないか、言い得ないか。
だから消す。
それがこの一ヶ月だったな。