私の住む県に2回目の緊急事態宣言が発令されてから1週間。

宣言以前と以後で、私の生活スタイルは変わらない。それは、宣言の前から、できるだけの対策を心がけていたからというよりも、宣言が出ただけでは変えようもないくらいに、この状況に慣れてしまっていたから。

以前から変わらない日々が続く。

感染が広まり始めた当初に、自分にとっては、これは「変化」ではないなと思った。むしろそれまでの方向の「加速」だと思った。

加速したのは、人が人と会わなくなることだった。人と会わないことは、内心では、そうなることを誰もが願っていたのではないか。

私は、本当は人と会うことが億劫で、一人でいるのがラクだ。もともと仕事以外では人と積極的に交じる生活を送ってこなかった。人と会うことがよくない世界だなんて、なんてラクなんだと思っていた。

 

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でもこの世界にすっかり慣れてしまった夜に、自分の中で、いつのまにか、何かが湧き上がろうとする気すらも消沈してしまっていることに気づいた。

 

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新型コロナウィルスの「し」の字もなかった昔、いろんな経験をしたなかで、振り返ると、自分が変わったと思えたのは、必ず、人からの影響だった。自分が読みたいと思う本を読んだり学びたいと思うことを学んだりするのは、結局、それ以前からの自分の延長にしかならなかった。本当の意味で自分が変わることができたときは、きまって、誰かとの出会いがあった。それは例えば、視界の隅っこに無意味に存在する石を手に取ることを、教えてくれたことだった。そうして手に持った石には、思いもかけず大切なものが含まれていた。

自分が見たいと思っていた風景ではない世界を見ることができたのは、いつも、出会う人がいてくれたからだった。出会った人が、私を新しい世界に招き入れてくれた。

高校で出会ったアメリカンフットボールや、大学で出会った能はそうだった。

だから社会に出たらもっといろんな人に出会いたいと思った。だからそれまでの自分がいた世界では到底出会えない人がいそうな業界と思えた製造業の世界に飛び込んだ。

はたして仕事をきっかけに、いろんな街に住み、いろんな人と出会った。未知のことばかりに遭遇した。仕事ではまだまだ序の口の4年という短い期間で転職し故郷に帰ってきたけれど、帰ってきても、あの4年での出会いは、今の私の大分を形成していると思える。

 

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でもこの間にそんなことも忘れてしまっていた。だからこんな世界は早く終わらせなければならない。

この世界を、人間同士が生きあうことのできる「社会」にしたいと、私たちが願うのならば。

 

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不適切かもしれないことを言うが、この世界を終わらせるために、むしろ人と出会うことが必要なのではないか。この世界が終わったから出会えるのではなくて、この世界を終わらすために出会う。しかしそのような出会いは、この世界で、どのように可能なのだろうか。

そのようにしてまで終わらさなければならない、この世界とは。

この世界とは。

この世界の本質を問うことで、人が人と出会うことの意味も改めて問うことができるのだろう。それならば私たちがこの世界に生きることになったのにも意味があったのかもしれない。