私が自分の内面と信じているものって、どれくらい、確かなのだろうか。思えば、これまで生きてきた中で、私の内面が、誰かとの間で、繋がったことなどなかった。でも、ずっと、それでよかった。自分の部屋で小説や、時には外で映画や能を観たりして、そうした時間は自分で、自分の心を潤わせることができた。そして、喫茶店や、バーで過ごす時間は、そのような潤いが、だんだんと発酵していく過程だった。

誰かといる間でも、私はいつも独りだった。むかし、次のように書いた。

 

「今日はじめて会ったあなたに、こんな話するのもどうかという気もするんですけど」オールドイングランドを一口飲んでから、相沢はゆっくりと話し始めた「私、ちっさい頃からずっと、自分が目を閉じるのと同時に周りの世界が無くなるもんだと思っていたんです」
「?」
「いやその、今自分がいる世界は、自分に見られているからこそ存在していて。それでその、友人や、家族ですらも、なんと言うか『登場人物』のような、そういうんじゃないかという思いが、ずっと消えないままに、この年まできちゃったんです」
「え?」
「街ですれ違うような人だけじゃなくて、家族とか、ごく近しい人に対してもです…」
「自分中心の世界というか、なんと言えばいいのか分からないんですけど、自分以外の人間の生活の根元を想像する事が、まったく出来なかった」
「…って、こんな話してても大丈夫ですか?」
「え、えぇ、大丈夫ですよ」女は心配そうな顔してそう言った。
「じゃあ、済みません。面白くなければ、遠慮なく言ってくださいね」女の表情を気にも留めず相沢は続きを話しだす。
「それで、とにかくこの世界は自分に含まれてるんです。四方八方から引っ張られる線でつながってるんです。すべて、存在するものは自分と関係する為にあり、新聞やニュースなんかは、それこそ、『この狭い世界の淵っこの壁に貼ってある』ようなものでしかなかった。これが、正直な実感なんです」
「そうして、高校や大学を卒業し、その間、本当にたくさんの人と出会いましたが、皆、自分の為に存在する『壁絵』でした。どんなに掛け替えのない人であっても…。そんな風に考えてたからか、結構、いろんな人に不愉快な思いをさせたかもしれません…」
「それに、私の方でも、こんな考えは誰にも言うこと無く、ずっと、自分の胸の内で疑問に思い続けていただけだったんです。誰かに言ってみればまた変わっていたのかもしれないとは思ってます」
「…それは、付き合ってた女の子に対しても?」
「えぇ、まぁ、付き合ってたと言えるかどうかは別として、ものすごく親しかった女の人に対してもです。そのせいなのかもしれないんですけど、その人とはもう会えなくなっちゃいましたけどね。まぁ、その時の自分を振り返ると、ものすごくひどかったなぁと思います」
「それはなぜ?」
「いやその、だって、相手と話してても、99%自分の話しかしませんでしたもん。それで何も不思議を感じませんでした。とにかく、自分はこう思ってるんだという事を、伝えたくてしょうがなくて、みんな、それを聞いてくれるもんだと勝手に思ってたんです」

 

2009年3月26日の記事。この頃は日記のかわりに、架空の人物に仮託した、架空の物語を書いていた。でも、架空だからこそ、かえって真実が書けた。このとき私は25歳だった。このとき、私は今より、ずっと人を傷つけていた。そのときのことを今でも生々しく思い出すことができる。でも、それでもそのときの私は、「壁絵」だなんて言葉を使っていた。

不思議だ。いま、ようやくそのときの自分を振り返る時がきたと思えている。そんな気になっている。

自分の内面の「確かさ」を、今こそ、見つめてみたい。あのときからの続きに今があると、私の内面は「存在する」と、言いたいがために。