「二人の画家が、同じ一枚の紙に向って描きはじめ、互いに干渉し合い、それでも互いを否定すること無く、そうして描いていって、もう完成しそうだと見ている私が思ったその時、画家達はそれを、その上に別の絵を描きはじめることで塗りつぶし、上にどんどん別の絵を描いていき、そしてまた塗りつぶし、また描き。…その連続だった。最後には、訳のわからない、それでいて何か統一した世界がある一枚の絵となって終わったが、その下には、何層も何層も、たくさんの別の絵が描き込まれていた」
「その時唐突に直感した。これはまるで人生のようだと思った。連続した時間の流れの中に今があるのと同時に、断続した瞬間の層の積み重ねの上に、今があるんだと。連続と断続と、その前後に挟まれた一瞬を描くという事。一瞬を切り取って描くという事。その下にはたくさんの物語がこめられていて、決してそれは表面では語られないという事」
「これこそが、まさしく絵を描くという事なんだと思った。絵って、こういうんだと思った。連続する、そこに至る物語、そこから続く物語、その間の一瞬を描くという事を」
「その時、私は心の震えを止めることが出来ませんでした」
「なぜなら、その後の私の進むべき道が見えたから。何をすれば良いのか、何を続ければいいのか。その時まで、私は、根拠のない信念だけを支えに、絵を描いていましたが、いまはもう違う、確かなものを手に入れたんだと、そう、強く実感しました。興奮して家路につきました。帰り道、信号待ちの間、月がとてもきれいだったことを覚えています」
「次の日から、私はまた、勇気を持って描くことを再開しました。描くことを切実に希み、筆をとりました」
「しかし、困難は強まる一方で、対象物固有の物語との問答。私は、いとも簡単に打ちのめされました。今までは、対象の断片を描いていただけだった。それは、最初から最後まで、見えている表面を写すという作業でしかなかった。本当に簡単な事でした。そこでは、己は無だった」
「でも、今は違う。自己が暴れる。対象を写すという同じ行為の中で、このどうしようもなくむちゃくちゃな自己が、フレームを勝手に創造しようとし、私はそれに従うしかないのです。なぜなら、その自己は、私が私の中から呼び覚ましたものだから。その魂のフレームによってしか、物語の中の一瞬を切り取ることはできないから。そうして、今の私にとって、その切り取るという事の中にしか、己の芸術の居場所を見いだせないから…」
画家の眼は潤んでいた。頬は紅潮し、早口だった。
私は半ば呆然とし、画家の話を聞いていた。そんな私に気づいて、画家は、恥ずかしそうに笑った。少年のような、はにかむような笑顔だった。
「ごめんなさい。自分でも興奮しているのがわかるんです。こんなことを話したことって、今までに一度もなかったから。…もうこれでお終いにしましょう。なんだか言い尽くせなかった気がするけど、これが言葉に出来る全て。画家である私は、大切なことは、口よりも筆によって伝えたいから」
そうして言った、
「あなたとは今日初めて会ったのに不思議です。今日話せたことは、自分にとっても、今までで一番大切なことなんだと思います。あなたを経由する事で、自分に語って聞かせたような、そんな気がします」