残影

私が東京に住んでいたのは、2010年12月までだから、2011年3月のことも、いまの新型コロナのことも、知らない。なぜか今、あの頃の生活を思い出したい。

2007年3月に京都の大学を卒業して、名古屋の企業に就職し、3ヶ月経った後、思いがけず東京配属になった。

東京にはいろんなものがあった。

ミニシアター、能、ライブ、コンサート。美術館、ギャラリー。喫茶店、バー。満員電車。街の人混み。

銀座の街が好きになった。あの街にはずっと憧れていたバーがあった。高校生の頃、田中裕子の斜陽の朗読をNHKで観て以来、あの地下に続く扉を開ける日を夢見ていた。

職場の先輩に勧められて村上春樹を読みはじめたのも、東京にいた頃だ。

あの頃、私たちの生きる世間の全体が、ある極みに向かって流れ、その中で自分は、身を任せて漂っていた。今振り返るとそれだけの事だったように思える。自分の足で歩を進めているように思っていたが、ただ流れに身を任せているだけだっただろう。そうしているうちに、どこかにたどり着けると思っていたのだろう。

今いる場所とは別のどこかに、本当の自分の居場所があるような気がして、そして、すでにそのどこかに片足をかけることができているような気がして、いい気で苦しんでいた。でも自分の足で模索しているように思いながら、その実、世間の流れと同じ向きに進んでいた。浮かび、漂い、それでも流れた。でもその姿からは当然の帰結だろうが、目指したかった「どこか」にたどり着くことはなかった。4年目の年に東京を去った。結局、惰性の先に漂着した未来でしかなかった。

 でもあの時代、と言っていいだろう、10年前のあの時代に、確かに私は東京に生きていた。あの街に生きていた自分は、あの時代に置いてきたのかもしれない。もしくは、あの時代に生きていた自分は、あの街に置いてきたのかもしれない。置いてきたそれは、今に続くことのない残影かもしれない。しかし自分は残したその影の記憶にすがっている。そしてこうして時々、その影を振り返っている。それは自分にとって大切だから。

いつの頃か、私は、「本当の自分の居場所」とは異なる意味で、「違う世界」の扉を開け、後ろ手にその扉を閉めたかのように思える。そしてこのことは「私たち」に起きたことでもあるのだ。今この時代は、それまでとは別のそんな部屋に入ったかのようだ。もうかつての部屋には誰も戻れない。一度閉めた扉は開かれない。開こうともしない。

これを書いている今、三日前に37歳になったことを喜んだのが、嘘みたいだ。なぜこんな気持ちになるのだろう。

あの時、人との「関わり」があった。人の親切を踏みにじることもたくさんあった。それでも人との出会いがあった。人の連鎖の中に自分の立ち位置があった。また帰ってきますと言って、結局、10年経ってしまった。そして今も、東京に「帰る」ことはない。生まれた町で、仕事をし、生活している。いつか40歳の足音が聞こえる年齢になった。

東京のことを考えると、なんだか切ない。この10年に失ったものがあの街に今もあるような気がし、そしてそれは大切なもののような気がしている。

 

10年後の東京に、今でも、私の残影は生きているのだろうか。

どこかに迷い込み、立ちすくんでいるのかもしれない。