エスと言わない。
この心が。
     ***
辺りは、他の客の会話でざわつき始めている。いつの間にか、カウンターの席はすべて埋まっている。私達は、それでも、私達の空間のなかで、お互いの温かな静けさを感じ合うことが出来ている。
いつも、会話は一方的だった。私は喋り続け、彼女は、じっと聞いていてくれる。時折、何気ない言葉をはさんでくれる。私にとって、最もなくてはならない存在だった。そのことにはじめて気づいたのは、彼女と遠く離れてしまってからだった。それから、ずっと彼女に会いたかった。会って、話を聞いてほしかった。
     ***
グラスがどちらも空になった。
そこで、私は、オールドイングランドを頼む。彼女は、チャーリーチャップリンを頼んだ。店の人は、親切に応じてくれる。いま、私達は、こんなに素敵な店で、おいしい酒を飲みながら話している。夢ならば、それでもいい。
     ***
「いろいろと難しいのね」
「…」
「でも、」