「今日はじめて会ったあなたに、こんな話するのもどうかという気もするんですけど」オールドイングランドを一口飲んでから、相沢はゆっくりと話し始めた「私、ちっさい頃からずっと、自分が目を閉じるのと同時に周りの世界が無くなるもんだと思っていたんです」
「?」
「いやその、今自分がいる世界は、自分に見られているからこそ存在していて。それでその、友人や、家族ですらも、なんと言うか『登場人物』のような、そういうんじゃないかという思いが、ずっと消えないままに、この年まできちゃったんです」
「え?」
「街ですれ違うような人だけじゃなくて、家族とか、ごく近しい人に対してもです…」
「自分中心の世界というか、なんと言えばいいのか分からないんですけど、自分以外の人間の生活の根元を想像する事が、まったく出来なかった」
「…って、こんな話してても大丈夫ですか?」
「え、えぇ、大丈夫ですよ」女は心配そうな顔してそう言った。
「じゃあ、済みません。面白くなければ、遠慮なく言ってくださいね」女の表情を気にも留めず相沢は続きを話しだす。
「それで、とにかくこの世界は自分に含まれてるんです。四方八方から引っ張られる線でつながってるんです。すべて、存在するものは自分と関係する為にあり、新聞やニュースなんかは、それこそ、『この狭い世界の淵っこの壁に貼ってある』ようなものでしかなかった。これが、正直な実感なんです」
「そうして、高校や大学を卒業し、その間、本当にたくさんの人と出会いましたが、皆、自分の為に存在する『壁絵』でした。どんなに掛け替えのない人であっても…。そんな風に考えてたからか、結構、いろんな人に不愉快な思いをさせたかもしれません…」
「それに、私の方でも、こんな考えは誰にも言うこと無く、ずっと、自分の胸の内で疑問に思い続けていただけだったんです。誰かに言ってみればまた変わっていたのかもしれないとは思ってます」
「…それは、付き合ってた女の子に対しても?」
「えぇ、まぁ、付き合ってたと言えるかどうかは別として、ものすごく親しかった女の人に対してもです。そのせいなのかもしれないんですけど、その人とはもう会えなくなっちゃいましたけどね。まぁ、その時の自分を振り返ると、ものすごくひどかったなぁと思います」
「それはなぜ?」
「いやその、だって、相手と話してても、99%自分の話しかしませんでしたもん。それで何も不思議を感じませんでした。とにかく、自分はこう思ってるんだという事を、伝えたくてしょうがなくて、みんな、それを聞いてくれるもんだと勝手に思ってたんです」
このときの「こう」と言う相沢の目には、一際、力がこもっていた。
相沢は続ける。
「実際、友達も、『相沢君の話を聞いていたい』と言ってくれてたんですけどね…、でも、今にして思うと、やっぱりそれじゃダメだったと思うんです」
「…まぁ、とにかくみんなが自分にとっては私を囲む『壁紙』でした。その感覚を抱いたまま大学を卒業して、こっちに来たんです。二年前の事です」
「あぁ、そっか、25歳だったね」
「はい。もう25になりました」
その時また注文の声を聞いたので、大場は相沢たちの傍を離れることになった。注文のカクテルを作る際は無心でいることを心掛けていた。そうして、他の客が話しかけてくるのに、静かに相槌打ったりした。一人、常連の男性客が大場にこう言ったのが印象的だった「不況だって言いながら、この間の休みの日、その辺の街歩いてたら、不況なんか関係なさそうに大勢買い物に精出してる。通りなんか、人が多すぎて真っすぐ歩けなかったよ…」
一段落ついて、また、大場は相沢達のいる傍に行った。相沢のチェイサーのグラスに、水と氷を継足した。
相沢達は、今日初めて会ったとは思えない位、随分話込んでいる。いや、どちらかというと、相沢が熱を込めて話すのを、女が静かに聞いているというふうだった。女も、決して詰らなさそうではなかった。
「…で、自分は本を読むのが好きで、昨日まで『アンダーグラウンド』を読んでました。昨日で読み終わりました」
「『あんだーぐらうんど』って?小説?」