今生きているのとは違う人生を、もしかしたら歩んでいたかもしれないなと、ときどきそんな考えに沈み込む。

昔、誰かと関係があったときの、一人の時間によく聞いていた音楽を、何かの拍子に聞いてしまったとき。音楽がその当時の私の魂に触れ、本当に久しぶりに、そのとき抱いていた夢や、あるいはそのときに抱えていた苦しみを呼び覚ます。

振り返れば、いろんな選択があったなあと思う。でもそのときにはまさか自分がいま選択の真っ只中にいるのだとは思いもしなかった。

たくさんの過去にしてしまった私の過ちを被った、あの人は、今何しているだろうかと思う。

いまこんなことを書いているこの同じ時間に、そんなあの人もこの世界のどこかで暮らしていると思えるのは、私の身勝手な都合の良さなのか、それとも、そうあってほしいという罪滅ぼしにも似た願望なのか、そのことに答えを求めようとは思わない。

返信できなかったメールや、着信の音に気付きながらも応答できず携帯電話に残ったままのメッセージは、何台か前に交換した携帯電話のメモリーの中に、今も残っている。そんな過去にあった現在を、もう一度読み返したり、聞き返したりすることはできない。過去は机の引き出しの中にしまわれた小型の機器の中に、これからも味気なく眠りつづける。

ただ、今はどこかで幸せであってくれたらと、そんなことを願う。

でもこれもまた身勝手な私の都合の良い独白でしかないか。そう思いながら、それでもこんな場所に書いてしまっている。