駅からの帰り道、空が、この季節のこの時間に特有の色合いを帯びていた。夕陽からくる紫と赤とが、少し積乱雲めいた分厚い雲をまだらに染め、雲の向こうの空の、色褪せたような青と混じりあい、なんとも言えない色調で、それはまるで切なさを絵に描いたようであった。

蝉の声。建物と建物の間を縫う川の流れ。その川面を撫でながら吹く微風。暗くならないうちから、街明かりが灯りはじめる。夕方の家事にひと段落ついたのか、会話しつつ散歩する初老の女性たち。大寺の山門。塀越しの大屋根。建物の隙間から覗く遠くの山。この時間のこの街を歩いていて、いまなら泣いても良いかなと思った。

でも実際には泣くことはなかった。

そしておそらく、本当の感動とはそういうものなんだろうと思った。それは、泣かせてしまったらおしまいで、その手前で、人の感情が溢れるか溢れないかくらいのところに立ち尽くしてしまうような、「あはれ」とはこういう精神状態をいうのではないかと思った。

遠い地方にある台風の影響か、この夕刻は歩くのに涼しかった。蝉の声と吹く風に、どこか夏の終わりが紛れ込んでいることを思った。

 

***

 

いま私は人生の、どのあたりにいるのだろうか。早すぎる夏の終わりの気配が、そのような自問へと誘った。

太宰治は、その処女作品集に「晩年」という名を与えた。そして私はとっくの昔に、太宰のその年齢を超えていた。高校生の頃から、太宰の年齢と、その同じ年齢の自分とを重ねて考えるようになっていた。そしてとてもおこがましい事に、太宰と自分とを比べていた。

その年齢の自分が、その年齢の自分に対し期待していたことのうち、ごく僅かでも成していないという、努力を伴わずしては当たり前すぎる現実に、嫌悪感を抱くのが常であった。忙しさや、疲れを、そのような私を庇う悪友としていた。そして夢見ていた姿から離れた場所にいる自分に嫌悪感を抱きこそすれ、不満や落胆は、実は感じていなかった。

嫌悪感とは身勝手なもので、そして都合の良い感情だった。嫌悪感とは、それが自然に生じる感情でもあることから、かえって意識されないままの醜さを生むものだった。「嫌い」という明確な意思表示よりもタチが悪いものだった。そしてこの嫌悪感は、間違った正義感と隣り合わせのものでもあった。

私はこれまでに、どれだけの嫌悪感を示してきただろう。まるでそれが誰もに許された感情であるかのように、気前よく嫌悪感を抱きつつ、そしていつの間にか、嫌悪感に引きづられるような人生になっていった。

自ら漕ぎ出て自らの跡に流れを生じさすのではなく、既にある流れに流されるような人生だった。

 

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ここまで考えていたら部屋の中に心地よい微風が流れ込み、その一方で、いつのまにか外から蝉の声は聞こえてこなくなっていた。そのかわりに別の虫の音が、鈴を振るような音として耳に届いていたのを知った。