2009-01-01から1年間の記事一覧

*** 時々行く映画館のすぐそばに、その喫茶店はあった。

その同じ時期のある朝、湖の上空を一面に灰色の雲が覆っていた。 それを受けて湖面は鈍く光っていた。 その狭い砂浜を私は一人で歩いていた。四月から進学が決まった大学は、家から通える距離にあったから、これからもずっとこの大好きな湖はそばにあること…

周りはいつも静かだった。 放課後の図書館で本を借りるとき、新任の図書の先生はきれいな人だった。同じ高校の同級生の男子のお姉さんだった。私はその先生の事が好きで、よく話に行った。静かに囁くように喋る先生から話を聞けるのが、楽しかった。例えば大…

皇居から東向きに、東京駅の方へ真っ直ぐに広い通りが延びている。通りの両側には立派な並木がある。葉は落ち、既に風に浚われており、道路上にはほんの少しも残っていない。私はそこにある大きな車止めに腰かける。しばらくの間、まっすぐと駅を眺めている…

若い父親の必死な表情を見ていて、いいな、と思った。 良い父親だということが、必死な表情は素振りを見ていてよく伝わってきた。きっと幸せな家庭なんだ。奥さんも子供も幸せなんだろう。ほんとうに、ちゃんとした一家なのだろうと思った。 私は一人で歩い…

*** 門の隅に、白人の外国人夫婦とその子供がいる。何かが起きたようで、父親が、男の子の背中をさすっている。母親は、子供の頭を抱きしめている。門を出たところの地面に、嘔吐物が撒き散らばっていて、警備員が、掃除道具を持って駆けつけてきた。 子ども…

誰かに会いたい。 知らない誰かに。そして、どこか私の知らない場所に連れていってほしい。ここはつまらない。でも、自分以外の誰かは、きっと何か素晴らしい世界を知っている。ここでは、知らないのは自分だけ。自分だけが、何も出来なくて悶々としている。…

人に会いたいと、そう思って歩いていても、人に会えない。これはどこも変わらない。

本当にたくさんの人だ。

何か食べたいと思ったので、駅からすぐの安いそば屋に行く。席はすべて埋まっていたので、しばらく待った。それでも五分ほどだった。ここに来た人が大抵食べるいつものそばを頼む。一分で出来る。どこがどうという訳でもないが、こうして気軽に食べることの…

私はこれまで人と深い関わりを持たずに生きてきた。それでも充分だと思っていた。でも実際はそうじゃなかった。私はある女性と深くかかわりたいと思った。深く関わりたいと思った時、しかしその時既に、彼女は私の前から去る決心をしていた。そうして自分で…

孤独ではないのだと思う。それぞれが孤独を抱えながら、それでも隣には人がいる。隣人の物語の中に参加できないかもしれないが、それでも、ちょっとした気遣いをする、そうすれば、人として触れ合う事が出来るのではないだろうか。だからホッとできるのでは…

しかし、ここにいる皆は孤独なのだろうか?

*** しばらくは、一度も下りたことのない駅名が続く。 山手線で、大きな円を描いている。円周から見える街並みは、どこもそれほど変わらない。いくつもの街が集まって、一つの大きなかたまりを成している。そこには中心がなく、ただ、周縁の連なりがあるだけ…

じゃあ、女の人は何? 夫の心にいつもある女の影は、なんだと言うのだろう。私では決して代わる事の出来ないその女の役割は、夫にとって唯の愛情の他に何があるのだろうか? 何を苦しんでいるのか。 なぜ私には何も言ってくれないのだろうか。 私にはもう夫…

優しかった夫の横顔。彼は何か言っている。 「僕は小説を書きたいんだ…」 唐突に思いだした。夫は小説を書きたかった。 ずいぶん長い事忘れていた。それに、結婚してしばらくしたら、そんなことを聞かなくなった。夫はそのことに関して何も言わなくなっていた。…

堀の濁った水の中を泳ぐ、魚の影が見える。 頭を頂点にして、きれいな三角が水面に描かれる。裾を広げながら、その三角は前に進んでいく。ゆっくりと、それでいて迷いなく。人間もこんなふうであればいいのにと思う。でも、いろんな事が多すぎて、こんなふう…

何の為に私は生きているのだろうか。 夢、という言葉がよぎる。しかし、その言葉は私の中で何らの響きも伝えてはこない。私は今、一人の生活者だ。それ以上でもそれ以下でもなく、ただ、その日その日をやり過ごすだけで一杯だ。夫に対してすらも、ただ私から…

*** ここら辺りで働く若い女性達とすれ違う。楽しそうに会話しながら歩いている。彼女たちも、今、食事から職場へ戻る途中なのだろう。皆、清潔そうで美しい装いをしている。特に、髪の感じが良いと思う。長い時間を、男性達と仕事を共にしているからなのだ…

寒い。ひどく寒い。さっきまでの暖かさが嘘みたいに、寒い。 空気が乾いている。遠くまでよく見通せる。気付けば、周りの人達も足早になっている。皆、どこかに行く途中としてこの公園にいる。私もどこかに行きたいと思う。 結局、この駅で降りても公園に行…

ふと。 長いこと座っていたようで、いつの間にか広がりつつある寒々しさに、現実世界に引き戻される。雲も若干目立つようになった。演奏はまだ続いているが、しかし私は席を立つ。そろそろ行こうと思う。とりあえず、どこ行くというあてもなく歩き出すことに…

皆、様々な方を向いていた。それぞれの対象に向きあい、そして、一心に自分たちの画に挑んでいた。 「自分だって、何か…」 ここでもまた同じ事を思う。いつも、言葉にならないだけで常に同じことを思っているのかもしれない。だが、思うだけで、そこから一歩…

考えるのをやめたら、電車はいつの間にか、降りるつもりでいた駅を過ぎていた。この時間帯は快速運転になっており、目的の駅は通過駅だった事に気づいた。もうすでに三駅離れており、反対方向へ乗り換えるのも面倒だったし、それほどこだわりもなかったので…

改札を抜けてホームへの階段を降りると、電車はすぐにやって来た。周囲の乗客の様子から、今日は平日だという事を改めて思った。向かいの席でパソコンを睨んでいる若い営業マン風の男を見て、後ろめたい気持ちも少しした。しかし、そんなことも直に忘れた。 …

駅に向かう。

そういえば、この街の大通りを北の端から眺めた時、ビルの高さがそろっているのも、そっくりだった。四条通を、八坂神社の門の下から眺めた時夕焼けがきれいだった、ぼんやりとした光の底に、街全体が静かに沈んでいるような感じ、眠っているような感じで、…

もう昼だった。通りには、この付近の会社の人達だと思うが、何人も、連れだって歩いている。皆、昼食に向かっているのだろう。朝方よりも、少し雲まじりの空だったが、それでも晴れには充分な日の光りの量だった。私は、まだしばらくはこの空の下にいたいと…

こんな目をしている人を、他にも、私は知っているように思った。でも、誰だかは思い出せない。それは、遠い過去からの記憶のようだった。 *** 「私も、この絵の続きを想像しています。でも、見えない…」 画家は、そう呟いたようだった。小さな声だった。最初…

それにしても、変わった雰囲気を持つ絵だった。いつまでも、絵の前に立ち尽くしていたい気がした。 私以外に、誰も来ないのが不思議だった。路地の、少し奥まったところにあるとはいえ、他の画廊と遜色のない場所で、ここらあたりにあるのは、どこも同じよう…

自分が描いたものが、わからないのだろうか。そういうものなのだろうか。