2021-01-01から1年間の記事一覧

梅雨も極まった。水分を含んだ空気が、歩く体にまとわりつく。そのうち、体の奥からの汗と、空気中の湿気が混ざり合って、歩くのが泳いでいるようだ。 仕事を終えて、まだ明るいうちに帰る、夕方の空には厚い雲と、そこから重たい空気が垂れ下がって、地上の…

井伊文子さんが書き置かれたものと、私がはじめて出会った時、もはやすでに、彼女は亡くなられていた。 それでも、若い日から晩年にかけて文子さんが残した文章を読むにつれ、そこから偲ばれる人柄に対する、こいごころにも似た憧憬を、私は強く持つのであっ…

定年まで数年を残し退職した元上司から久しぶりに誘われ、休日の今日、喫茶店で会ってきた。 退職する1・2年前に、癌の手術で胃を広範に切除し、急激に痩せたその体つきにとても驚いたのだったが、久しぶりの今日は、痩せた体型はそのままでも、すっかり元…

一昨日の夜、遅くまでうちにいた小学生の甥を、隣の兄の家に送りがてら見上げた空に、月影が明るく照っていた。その周りを雲が速く流れていた。甥は、月が速く動いていると言った。私は、動いてるのは雲だよと言った。そうして二人で、しばらく空を眺めてい…

私が自分の内面と信じているものって、どれくらい、確かなのだろうか。思えば、これまで生きてきた中で、私の内面が、誰かとの間で、繋がったことなどなかった。でも、ずっと、それでよかった。自分の部屋で小説や、時には外で映画や能を観たりして、そうし…

自分に向けた日記

見合いをした。 私の内面は、もしそのようなものが存在するのならば、それは、これからどこに安息の場所を見つけられるだろう。 「今度の休みの日にお茶しませんか」 「今日は仕事だったんですね。おつかれさまです」 「いちにち暑かったですね」 「無理しな…

記憶

思い出が、美しいものとして残るというのは、対象(相手)との関係の中で、大変だったなあという経験のうち、自分が嫌だったことを忘れていく(良かったことだけが残る)ということのみではなく、私の中に生起していた、対象(相手)に対する、意地悪な感情…

「正しさ」について

父について、なぜ父と私は相容れないと思ってしまうのか、書いていたら、「正しさ」に行き着いた。 正確には、行き着いたというよりも、「価値観」とか「反発」とかいった、目に付く言葉たちを、こそぎ落としてみたら、「正しさ」というものが残った。ほかに…

父③

連休も今日が最終なので、明日からまた始まる仕事のことをときどき思いながら、私は家でずっと、ぼーっと過ごしていた。 今日は朝から、雨降りがつづいている。父と母も、昨日と一昨日は、夕方近くまで畑仕事をしていたのが、今日は外で作業することも叶わず…

父②

毎年5月3日は、このあたりの農村では「のどめ」と言う。素朴に「野止め」とでも書くのだろうか、忙しいさなかの田植えも、この日だけはいったん休み、村々は昔からの祭りに賑わった。 しかし今年、人が集まるのを避けるため祭りは中止となった。毎年この日…

父①

晩年の祖母と一緒に生活するなかで、家族の結節点には、常に、介護の「問題」があった。家族の間のやりとりは、いつも、祖母の介護に関係あることがらとして成り立っていた。 あるいは、家族の間で、誰かから誰かに発せられる感情は、「祖母の介護」という容…

4月29日(木)雨

母のスマートフォンには、甥や姪が生まれたときからの写真が撮りためてある。何枚もの写真を順にスワイプして、赤ちゃんや子どもの写真ばかりを眺めていたら、ふいに、最晩年の祖母の写真が表示された。介護ベッドの上で、祖母が横になっているのを、父が撮…

4月27日(火)

風呂に入る少し前まで知らない人のブログを読んでいた。風呂に入ってからも体を洗い湯船に浸かる間ずっと、ぼーっと、その人のブログについて考えていた。ふと思い浮かんだのは、ブログを書くことって、インドの人が、ガンジスで祈りを捧げることと似ている…

4月25日(日) 晴れ

東京から帰って以来、この10年の間に、多くの近しい人を喪くしてきた。なかでも、同居していた祖母は、私との間柄からいって、喪失感もことに大きいものがあった。 しかしそれでも、先日、祖母の百箇日を終え、ようやく、この間に経験したすべての死が、少し…

祖母の思い出④

夜、風呂を上がった後で、火照った体を冷ますのに、下着だけで、バスタオルを首にかけ、座敷の部屋隅に置かれた椅子に座って、床の間の祖母の遺影をぼーっと眺める。体の火照りが十分におさまれば、遺影の前で正座し、鈴を二度鳴らして手を合わせる。ここで…

祖母の思い出③

祖母は、年々歩くことが難しくなり、しまいには家の中でも杖をつくようになった。それでも京都に住む叔母は、この少し難しいところがある自分の母親と同居する嫂に気を遣ってか、彼女の気分転換になればと言って、時々、祖母を自宅に招き、1週間とか十日と…

祖母の思い出②

(とりとめもなく思い出されることを書く。) 私がまだ学生の頃、京都の叔母に会いにいく祖母と、大学に通学する私とが、同じ電車に乗り合わせたことがあった。窓ぎわの席に祖母が座り、通路側の席に私が座り、一時間ばかりの車中で、どんな会話を交わしたか…

祖母の思い出①

祖母の、遺影の眼差しは、どの角度からでも、きっと、見ている自分にまっすぐ向かってくる。生前、母に言わせると「怖かった」という祖母が、この眼差しから、凛とした姿そのままにあらわれているようだ。祖母の遺影の写真が、私は、好きだ。 でもこの写真が…

4月18日(日)

祖母が他界してから、一連の法事のなかで、今日は百箇日にあたった。 朝、一旦、六時ちょうどに目が覚めた。昨夜は遅くまで、あてもなくSNSを覗いたりして夜更かししてしまったから、きっと翌朝は起きられないだろうなと思っていた。だから目が覚めて時計を…

4月11日(日)

寺尾紗穂さんの、「道行」は、「ひとり憂いを抱きしめて」という言葉からはじまる。今、聴きながら書いている。 今日、夕方、ごみ袋が切れていたので、コンビニエンスストアまで買いに歩いて、そのついでに、ぶらぶら散歩することにした。小さいまちなかを抜…

俺の家の話

「俺の家の話」最終話を観ているあいだ、ずっと、いつ「・・・というのは想像の話で」と寿一のナレーションが入るかと待っていたら、最後まで、寿一は死んだままで終わった。そうかと思った。最初、私は、この話は、「東京物語」で母の死に間に合わなかった…

残影

私が東京に住んでいたのは、2010年12月までだから、2011年3月のことも、いまの新型コロナのことも、知らない。なぜか今、あの頃の生活を思い出したい。 2007年3月に京都の大学を卒業して、名古屋の企業に就職し、3ヶ月経った後、思いがけず東京配属になっ…

2021年3月26日(金)

昨日は37歳の誕生日だった。そして今日は仕事休み。大学院の修了式があるからだ。朝はいつもより少しだけゆっくり布団に入っていた。 昨夜が少し寒かったからか、布団一枚だけの睡眠はよくなかった。頭に少しダルさを感じながら、味噌汁と納豆ご飯を食べ、歯…

被害者、加害者、犠牲者②

我々の世間が持つ悪に対する犠牲。あるいは我々自身の悪に対する犠牲。 1995年、我々は、昨日まで我々の住む世界の中で我々の隣に存在していたものを、我々と異なるものとして悪とみなした。そして2011年、我々が住む世界で我々もそうであるものを、我々から…

被害者、加害者、犠牲者①

「もう寝るわ。」 「ねえ、今日はなんの日か知ってる?」 「んー、なんの日?」 「地下鉄サリン事件があった日。」 「わあそんな恐ろしい日なの。」 「でもあまり報道されてないね。」 「世間はそれどころじゃあ、ないんじゃない。」 「うん、まあ、そんなも…

2021年3月20日 土曜 晴れのち曇り

昼過ぎまでは青空だったのが、夕方近くなった今、空はすっかり雲に覆われた。外を歩くと風が強く、しかし空気は生暖かな感じがした。 今日は、おそらく研究室で一日過ごすことができるのも最後だろうと思って、大学に来たけれども、結局、何もせずにこの時間…

10年間

もう10年もたつのか。 2010年12月31日付けで、3年9か月働いた会社を退職した。 東京から、たまたま取れたムーンライトながらに乗って帰った。たしか12月24日。出発にギリギリ間に合う時間まで、バーでお酒飲んでいた。夜行列車の中でお腹すいたときように…

文について

いきなり文にならないことに、最近気がついた。 なにかこう、マテリアルをこねくり回すような、そのような作業から、文が生まれるような気がしてきた。 今日は、このことに気づいた記念日。

六畳間のピアノマンについて②

ドラマは、今日が最終回だった。今回、主人公は、夏野との間にどのような関係を持つことになるのかという一点だけに注意を向けて観ていた。 観て驚いた。描かれていたのは、純粋な死者との交流だった。 有村がピアノマンに出会った時、すでに夏野は死んでい…

六畳間のピアノマンについて

修士論文を提出したら、心に余裕ができたのか、テレビドラマなんかを観て過ごす時間が増えた。毎週の楽しみは、金曜日の「俺の家の話」と土曜日の「六畳間のピアノマン」だ。今日は、「六畳間のピアノマン」について思うところを書いてみる。 物語は、死者を…